【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

昭和天皇の娘がタバコ屋に!? 夫は年収200万円? 一般人と結婚した皇女6人、知られざる「その後」と日常生活

2021/11/06 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
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 10月26日、秋篠宮夫妻の長女・眞子さんが、大学時代から交際していた小室圭さんと結婚を果たした。式を行わず、一時金も受け取らないという異例ずくめの展開となったが、東京・渋谷のマンションで生活後はアメリカ・ニューヨークで結婚生活をスタートさせる見込みだ。

 海外の地でサラリーマンの妻として生きることになった眞子さんは、今後どんな生活を送るのだろうか? そこで今回は眞子さんと同じく、一般人と結婚した皇女の歴史を振り返っていこう。歴史エッセイストの堀江宏樹さんによる連載「日本の“アウト”皇室史!!」から、皇女6人の事例を再掲する。

昭和天皇の長女:港区の300坪のお屋敷でセレブ生活! でも「お金がない」!?

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――今回からしばらくは、昭和天皇の娘、皇女についてお聞きしたいです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇には5人の皇女がおられました。夭逝なさった久宮祐子内親王以外の4人の内親王が成人し、そして結婚もなさったということですね。というわけで、トップバッターは“長女”の照宮成子(てるのみや・しげこ)内親王です。

 まだ戦前の1943年、成子内親王は、東久邇宮盛厚(ひがしくにのみや・もりひろ)王と結婚なさいました。お相手は「天皇の娘(内親王)は、皇族の男性に嫁ぐ」という古くからのルールに従い、宮内省(当時の宮内庁)内で慎重に人選がされたことがわかっています。ちなみに成子さまのご結婚について、世間一般ではとくにニュースにはならなかったようですよ。


――今だったら大ニュースになりますよね。報道が規制されていたということでしょうか?

堀江 それもあるでしょうが、結婚相手はあくまで皇族男性の中から選ばれるということで、「意外なあの方に決定!」というようなニュース性が乏しかったのでしょう。

 

昭和天皇の第3女:結婚のお相手候補でマスコミを騒がす

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――今回からお話いただくのは、昭和天皇の三女にあたる孝宮和子(たかのみや・かずこ)内親王のご結婚生活ですね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) はい。和子内親王の人生は、本当にドラマティックなものでした。そしてこの方ほど、マスコミから注目される結婚生活を経験した皇女は、過去にはいなかったでしょう。ご成婚まで何回もお相手が浮上しては消え、を繰り返していますからね。そしてご結婚後も、本当にいろいろと事件がおありでした。


――ご結婚されるまでに、どんな方が内親王のお相手候補になってきたのですか?

堀江 これがかなり複雑な経緯をたどっているのですね。

 天皇の娘である内親王の嫁ぎ先は皇族であるべき、という昔ながらのルールに基づき、戦後の1946年、16歳になっていた和子内親王の結婚相手として、賀陽宮邦寿(かやのみや・くになが)王のお名前が挙がっています。これが1人目のお相手候補でした。

 しかし、和子内親王の母宮である香淳皇后が結婚に反対を表明なさいました。香淳皇后には、賀陽宮家の家風にお気に召さない点があったこと。そして、結婚するのに16歳はあまりにも早いのではないかという声もありました。

昭和天皇の第3皇女:エリート夫が愛人と“変死”! スキャンダルまみれの生活

――前回から、昭和天皇の第3皇女である和子内親王の結婚についてお話を伺っています。一介の主婦となるべく、家事の修行を積まれた和子さんは、ついに3回目の縁談で、鷹司平通(たかつかさ・としみち)さんとの結婚を決められましたが、新婚生活はどうだったのでしょうか?

堀江 最初は、とても良かったのです。さすがに元・侍従長の百武三郎さんのお家に1年間“ホームステイ”しただけのことはあったようですよ。宮内庁の経費で派遣されてきた女官と女嬬(にょじゅ)、つまり、家事指南役のメイドと、家政婦の2人が当初いたそうなのですが、それも約10カ月で御所に戻ってしまったほど、和子さんの家事スキルは高かったようです。

――和子さんの夫になられた平通さんのご経歴、お人柄は?

堀江 1959年(昭和34年)の「週刊読売」(読売新聞社)4月5日号には、「東大工学部卒の技術屋で教養、趣味とも一流人」とありますが、 実際は大阪理工科大学(現近畿大学)卒業だそうです。

 しかし、現代日本でいうワンルームとはニュアンスがかなり異なり、「23平方メートルくらい」の一部屋で書斎、食堂、応接室、居間を兼用。そこにはピアノ、テレビ、食卓、ソファーなどが置いてあったそうな。つまり、ダイニングキッチンですね。1階にはほかに応接間や、女中部屋がありました。2階にご夫婦の寝室などはあったのだと思われます。

昭和天皇の第4皇女:結婚後は「タバコ屋の看板娘」に!? お相手は「牧場主」

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――このところ、昭和時代の皇女にまつわる結婚事情についてうかがっています。前回は、昭和天皇の第3皇女、和子内親王のスキャンダルだらけだった結婚生活をお話しいただきました。

堀江 今回は、昭和天皇の第4皇女、順宮厚子(よりのみや・あつこ)内親王の結婚生活についてです。1951年(昭和26年)7月、厚子内親王(21)と、池田隆政さん(24)の婚約が発表されると世間は驚きました。池田さんは旧・岡山藩主の家系に嫡男として生まれた方で、世が世なれば「大名家の若様」です。

 しかし、池田さんはこの時すでに青年実業家として成功を収めていました。しかも彼が営んでいるのは牧場で、「皇女が岡山の牧場主に嫁ぐことになった!」ということでより大きなニュースとなったのです。

――牧場主がお相手ですか! 

堀江 厚子さんの父宮である昭和天皇は、池田さんを高く評価していたようですね。昭和天皇も学者として、動植物に興味が深い方でしたから。

昭和天皇の第5皇女:東京プリンスホテルに勤務! 夫は年収200万円

貴子さんと夫の島津さん(75年撮影、gettyimagesより)

――戦後の日本の空気を華やかにした、注目の女性皇族・清宮貴子さま。昭和天皇の末娘(五女)にあたられます。貴子さまの結婚相手は、「民間人」であるだけでなく、現在でいえば年収200万円台のサラリーマン男性でした。お二人の新婚生活はどうなったのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 皇女という「雲の上」の存在が、清貧サラリーマンの家庭に嫁ぐことになった面白さもあり、新婚のお二人の周りはマスコミの記者だらけとなりました。新婚旅行先だった宮崎にも当然のように報道陣がついてきていたのです。

――まるでストーカーめいていますね。

堀江 しかも旅路の様子まで、生放送の番組で取り上げられようとしていました。戦後に復活しはじめた皇室の人気を支えた元・皇女としては、マスコミからの要請をそう簡単に蹴るわけにもいきませんからねぇ……。

 宮崎へは神戸から船旅でしたが、その様子が1時間に渡って生中継されたのです。しかも、途中に「便秘薬」のCMが流れたことも大きな話題になりました。

三笠宮崇仁親王の第2女:婚約発表で“元カレ”が登場、皇室から「手切れ金」が支払われた?

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堀江 ここで思い出したのですけれど、こういう興味深い逸話も昭和時代にありました。昭和天皇の弟君にあたる、三笠宮崇仁親王殿下の第2女・容子(まさこ)内親王が、1973(昭和48)年3月からスイスとフランスにそれぞれ1年ずつ留学なさっていたとき、パリでフランス人青年と恋愛問題をおこされたといううわさですね。

――うわさ、ですか。

堀江 あくまで、うわさです。パリで容子内親王がお暮らしになっていたころ、日本人留学生たちから、フィリップ・ギャル氏という画家の卵の男性を紹介され、一時期、とても親密になったというのです。容子内親王と彼の馴れ初めには異説もありますが、それは後ほど。

 容子内親王は、タバコもお酒も豪快に嗜まれることで一時期有名だったのですが、それもすべてギャル氏から教わったそうですよ。

――ギャル氏とは、どんな方だったのでしょうか? 

旧皇族・久邇宮家の娘:新居は飯田橋の2部屋アパート、しかし4年で離婚!

――ときの皇太子殿下(現・上皇陛下)と美智子さまのご成婚パレードに、複雑な想いを抱いたという旧皇族・久邇通子さん。激動の昭和を生き抜いた元・プリンセスです。民間出身ながら皇太子妃になられた美智子さまと、旧皇族出身ゆえに民間人の男性との結婚もままならない自分……。立場の違いに泣きたくなりそうです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、このまま家で鬱々としていても仕方ないと考えるのが、前向きな通子さんという女性でした。通子さんは「働く女性」となることを決意し、津田義塾で英文タイプを専門的に習いはじめます。後には首席という優秀な成績で卒業、大協石油(現・コスモ石油)に入社したのです。

 いまだ親族から結婚は許されないものの、学習院大学で出会った永岡義久さんとのデートも続いていたそうです。しかし、二人がお付き合いをはじめて5年半もの月日が過ぎようとしていました。

 結婚に反対したまま通子さんの父・朝融さんが肝硬変で倒れ、近親者の取り計らいで通子さんと永岡さんの結婚が決まりました。意識不明の父の枕元で婚姻届の用紙を二人で書いたそうです。新居は飯田橋の2部屋のアパートでした。

――2万坪の渋谷の豪邸に生まれたプリンセスの新婚新居としては、侘しいですね……。

堀江 この頃すでに永岡さんはサラリーマンになっていました。通子さんも働きながら、主婦としても一生懸命にがんばるのですが、悲しいことに同居するほど「性格の不一致」は広まり、二人の結婚生活は4年で終わってしまうのです。

旧皇族・久邇宮家の娘:学習院大学で恋人と出会うも……

堀江宏樹氏(以下、堀江) 今回お話したいのは、激動の昭和を生き抜いた、旧姓・久邇通子さんという旧皇族の女性のお話です。

――久邇家といえば、前にも出てきた久邇宮家ですよね?

堀江 はい。運命が一族に共通しているのなら、久邇家(旧・久邇宮家)は結婚問題で代々モメるということになっているのかもしれないと言えるほど、騒動が尽きないんですね。

 久邇通子さんは昭和8年のお生まれ。過去の連載内では、さんざんな取り上げ方になってしまいましたが、婚約破棄問題を引き起こした朝融王の第3女です。東京・渋谷にあった2万坪の大豪邸(現在の広尾、聖心女子大がある場所)で生まれた通子さんは、生粋のプリンセスといえるでしょう。しかし、その家庭事情は複雑でした。

――もしかして、朝融王はご結婚後も女性に対して“ヤンチャ”だったということですか?

 

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『眠れなくなるほど怖い世界史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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最終更新:2021/11/10 11:31
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