【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

2万坪の豪邸から、新居は飯田橋の2部屋アパート! “主婦”になったプリンセスの結婚・離婚・再婚のお相手男性

2021/07/10 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

gettyimagesより

▼前回▼

――ときの皇太子殿下(現・上皇陛下)と美智子さまのご成婚パレードに、複雑な想いを抱いたという旧皇族・久邇通子さん。激動の昭和を生き抜いた元・プリンセスです。民間出身ながら皇太子妃になられた美智子さまと、旧皇族出身ゆえに民間人の男性との結婚もままならない自分……。立場の違いに泣きたくなりそうです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、このまま家で鬱々としていても仕方ないと考えるのが、前向きな通子さんという女性でした。通子さんは「働く女性」となることを決意し、津田義塾で英文タイプを専門的に習いはじめます。後には首席という優秀な成績で卒業、大協石油(現・コスモ石油)に入社したのです。

 いまだ親族から結婚は許されないものの、学習院大学で出会った永岡義久さんとのデートも続いていたそうです。しかし、二人がお付き合いをはじめて5年半もの月日が過ぎようとしていました。


 結婚に反対したまま通子さんの父・朝融さんが肝硬変で倒れ、近親者の取り計らいで通子さんと永岡さんの結婚が決まりました。意識不明の父の枕元で婚姻届の用紙を二人で書いたそうです。新居は飯田橋の2部屋のアパートでした。

――2万坪の渋谷の豪邸に生まれたプリンセスの新婚新居としては、侘しいですね……。

堀江 この頃すでに永岡さんはサラリーマンになっていました。通子さんも働きながら、主婦としても一生懸命にがんばるのですが、悲しいことに同居するほど「性格の不一致」は広まり、二人の結婚生活は4年で終わってしまうのです。

――5年半付き合っても「性格の不一致」で離婚ですか……! プリンセスの離婚となると揉めそうですね。

堀江 それが結婚するより格段に難しくなかったようで、その後の通子さんは大井町のアパートに移り、自活を続けたそうです。いくら働く女性とはいえ、女性一人暮らしというものが経済的に厳しかった当時、立派だといえるでしょう。しかも、裕福な結婚相手に恵まれた兄弟姉妹に経済的に頼ることも絶対にありませんでした。


 ちなみに通子さんと別れた永岡さんと思われる男性が、晩年に『もう一度、一緒にあの坂を』(幻冬舎)という書籍を出しておられますね。内容は東京にたくさんある坂と、それにちなんだ文豪の逸話のようです。会社員になった後も文学部で学んでいたことを、忘れなかったようです。

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