【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

皇族で1億円以上支給されても「お金がない」!? サラリーマンと結婚した“プリンセス妻”、特売品と内職の生活だった?

2021/08/07 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

gettyimagesより

――前回は昭和天皇の弟君、三笠宮崇仁親王の第2女・容子(まさこ)さまの結婚騒動についてうかがいました。今回からしばらくは、昭和天皇の娘、皇女についてお聞きしたいです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇には5人の皇女がおられました。夭逝なさった久宮祐子内親王以外の4人の内親王が成人し、そして結婚もなさったということですね。というわけで、トップバッターは“長女”の照宮成子(てるのみや・しげこ)内親王です。

 まだ戦前の1943年、成子内親王は、東久邇宮盛厚(ひがしくにのみや・もりひろ)王と結婚なさいました。お相手は「天皇の娘(内親王)は、皇族の男性に嫁ぐ」という古くからのルールに従い、宮内省(当時の宮内庁)内で慎重に人選がされたことがわかっています。ちなみに成子さまのご結婚について、世間一般ではとくにニュースにはならなかったようですよ。

――今だったら大ニュースになりますよね。報道が規制されていたということでしょうか?


堀江 それもあるでしょうが、結婚相手はあくまで皇族男性の中から選ばれるということで、「意外なあの方に決定!」というようなニュース性が乏しかったのでしょう。

 しかし、戦後すぐ、東久邇宮家は「臣籍降下」の対象となり、自活の道を探らねばならなくなります。

 東久邇盛厚さんは、戦前は軍人で、陸軍士官学校を卒業なさっているのですが、戦後、旧皇族は「公職追放」の対象でしたし、日本軍は敗戦と共に解体されましたから軍人を続けることは不可能なのです。それで東大を受験なさるわけですが、不合格。

――皇族でいられないどころか軍人にもなれず、大学生にもなれない……。そんな苦境が?

堀江 戦前なら無条件合格だったともいわれましたが、皇族の男性は特に理由がない限りは軍人になることが定められていましたからね……。ちなみに1922年(大正11年)以前は、学習院高等科を卒業した男子生徒は、帝国大学に無試験入学が可能でした。「各地の帝国大学に欠員があれば」という条件付きでしたが。


――学習院OBにはそんな恩恵もあったんですね。いいなぁ~。

堀江 不合格後も東久邇さんの学業への意思は変わらずで、3年間を東大経済学部の聴講生として過ごし、後には日本銀行に就職します。しかし、石炭化学に関心を募らせ、銀行は退職していますね。

 59年(昭和34年)年4月5日号の「週刊読売」(読売新聞社)には「”プリンセス妻” 天皇家の四人娘とその夫たち」という記事が掲載されました。この中で、東久邇さんは「北海道炭礦汽船」という会社に転職、社長室に社長秘書として勤務していることが書かれています。「(社長の)欧米視察旅行にも(近日中に)同行することになっている」とのこと。

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