【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

皇室から「手切れ金」が支払われた可能性? 婚約発表で“元カレ”が「結婚させてくれ」と申し入れ、プリンセスに大問題勃発!

2021/07/24 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

gettyimagesより

――今回からしばらくは、昭和時代の内親王たちのご結婚事情について、お話をうかがいたいと思っています。かつては皇族がたのお相手選びは宮内庁が大きな権限をもって行っていたんですよね? 

 しかし、紀宮さまと我々がお呼びしていた時代の黒田清子さんについては、お兄さまがた(現・天皇陛下や、秋篠宮さま)とも親交があった男性・黒田慶樹さんと再会、その1年後にご婚約という流れでのご結婚だったと思います。平成時代にはすでに、宮内庁が(女性の)皇族方のお相手選びに積極的には関与しないようになっていたのでしょうか。

堀江宏樹氏(以下、堀江) そういう傾向はあると思います。それでも、現代日本を騒がせている“小室さん問題”のような規模の大トラブルが、皇族がたの過去のご結婚の際に起きたことは、これまでは「ほぼ」なかったのですよ。

 ただ、それは今回の眞子さま・小室さん問題のように大炎上するケースが、過去に一度もなかった「だけ」と言えるのかもしれません。留学先で、その手の問題を起こす皇族がたもおられましたからね。


――とある女性皇族の方が、留学先のイギリスでSNSに大胆な日記を書いていたということが近年、話題になりましたよね(笑)。

堀江 そうですね。ちょっと話題になる程度で、あとは秘密裏に処理されてしまうのが常なのですが。それでも、中には深刻な展開を見せたこともありました。

 これは明治時代の男性皇族の悲しいお話です。

 1872(明治4)年からドイツ・ベルリンに留学し、軍学を学んでいた北白川宮能久親王という方がおられました。その宮様が、とあるドイツ貴族の女性と恋愛、秘密裏に婚約していたことが明治9年に明らかになったのです。

 しかし、日本の皇族と海外の貴族女性の結婚には、明治天皇や朝廷の面々から猛反対があり、能久親王は涙ながらに単身帰国せざるを得なかったという事件がありましたね。


――留学先のドイツに最愛の恋人の女性を残し、日本に帰らざるを得なかった留学生……森鴎外が『舞姫』という小説に書いていた話みたいですね。

堀江 ちなみに明治時代には、オーストリアの皇室にも連なる貴族の男性ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が、日本人の庶民女性、青山みつと恋愛結婚するというケースもありました。これは男女逆ならあり得なかった気がするのです。

 あくまで個人的な見解ですけれど、もし、眞子さまと小室さんの性別が入れ替わっていたとしたら、ここまで大炎上したのかな、とも考えてしまいます。結婚において、女性より男性に高いステイタスを求める傾向って今でも根強いですからね。

 ここで思い出したのですけれど、こういう興味深い逸話も昭和時代にありました。昭和天皇の弟君にあたる、三笠宮崇仁親王殿下の第2女・容子(まさこ)内親王が、1973(昭和48)年3月からスイスとフランスにそれぞれ1年ずつ留学なさっていたとき、パリでフランス人青年と恋愛問題をおこされたといううわさですね。

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