【連載】わが子から引き離された母たち

家の購入で夫とけんかして離婚の危機! 義父の叱責やワンオペ育児で疲弊した妻の苦しみ

2021/03/29 21:00
西牟田靖
家の購入で夫とけんかして離婚の危機! 義父の叱責やワンオペ育児で疲弊した妻の苦しみの画像1
写真ACより

 『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第2回 田中由実さん(仮名・37)の話(前編)

 子どもプログラミング教室の外の廊下には、お迎えの父母が10人ほど。その中に30代らしき小柄な女性がいた。兄妹とおぼしき幼い子どもが女性に抱きつく。当日はバレンタインデーで、女性はチョコレート菓子のキットを取り出して「2人で作ってみてね」と仲良く兄妹に語りかけている。数分後、女性のすぐそばに背を向けていた男性が兄妹を連れて立ち去った。子どもたちに悲壮感はない。ものの5分という、つかの間の面会だった。

「子どもとの関係はすごく良好です。なぜ元夫が子どもと母親が会うことを制限したがるのかがわからない。普段は離れて暮らしているからこそ、会えるたびに愛情と子どもたちへの必要な言葉はすべて伝えています」


 8歳長男と6歳長女の母親である田中由実さんは話す。これだけ仲の良い母子が一緒に暮らせなくなったのはなぜなのか? 家族との関係は、なぜこのようになってしまったのか?

キャリアより家族を持つことを選択

――結婚までは、どのように?

 都会出身の証券マンだった父と田舎で育った母のもと、地方で育ちました。私が長女で弟が2人います。

 大学の専攻は物理のシステム工学。正社員の開発者として就職したかったのですが、氷河期世代の頃でかなわず、大学卒業後、非正規や派遣として働いていました。20代後半で大学に行き直し、修士課程を修めたのですが、それでも待遇は変わらないまま。一般的な企業に新入社員として入る以外は、この分野で正社員になることって至難の業なんです。プロジェクトごとの参画や任期付き、非常勤など下積みのキャリアを重ねながら過ごしていました。

 それでも30代前半のとき潮目が変わりました。それまでのような非正規や派遣ではなく、「正社員の開発者として働いてみないか」とお誘いを受けたんです。それまでずっと夢見てきたポジションだったので、すごくうれしかった。


――もちろん、お受けになられたんですよね?

 そのお誘い、悩み抜いた末にお断りしたんですよ。というのも、その頃、とある男性と2年間付き合っていて、結婚しようかという話が出ていたんです。彼は同じ会社に新卒から勤める正社員の研究者。彼の実家は岐阜県で長男。親を大切にするいい人という印象。気持ちも合うし、年齢的にも子どもも欲しかった。さらに彼は私が正社員の開発者として就職するなら結婚はしないと言い切っており、私は人生の大きな選択を迫られた。そこでかなえたかったキャリアは彼に託すことにして、キャリアと夢の実現よりも、家族を持つことを選びました。

――そして、岐阜にいる彼の親に挨拶に行ったわけですね。

 そうです。するとね、彼のところにはお母さんがいなくて。というのも、彼が生まれてから半年ぐらいで、母親が家から追い出されたそう。嫁入りしてきた彼の母親と父(つまり私の義父)の、折り合いが悪かったんです。彼は母親の顔を知らないまま、父親とその両親にかわいがられて育ったようです。

――過去に彼が母親に会いに行こうと思ったことはなかったんですか?

 その点は私も気になって昔聞いたのですが、幼稚園の頃に母親のことを聞いたら、父親も祖父母も怖い顔をして押し黙ってしまったと。それで彼は幼心に、家の中で母親のことは話しちゃいけない話題なんだなと悟った。それ以降、彼は家族に母親のことは一切聞かなかったそうで、顔はおろか名前すら知らなかったそう。そんな事情なので、これまで一度も会ったことはないそうです。

――結婚式は、どんな感じでしたか?

 義父は地域柄なのか、「結婚式は盛大にやらないかん。村の威厳がかかっとる」という感じで一歩も引かない。それで私が「簡単に親戚だけで式をやればいいと思います」と希望を伝えたら、怒り心頭、たちまち私は怒鳴られました。挙げ句の果てには、私に無断で式場を仮予約しちゃって、2012年2月、結婚式の日を迎えました。

――当日は無事に式が行われたのでしょうか?

 義父の思うがままにされてしまったことがつらかった。さらには式の後、私が思うように動かないので、車の中で義父に30分近く叱責され、泣かされてしまいました。しかもね、彼(元夫)はそのとき、押し黙ってなんのフォローもしなかったんですよ。私、そのことがトラウマになってしまいました。「そのうち実家に帰りたい」って彼は言っていたんですが、「この親子の関係は変わらない。彼の言うように、岐阜の実家には帰れない」って強く思いました。

子どもを連れて、逃げました。