【連載】わが子から引き離された母たち

息子と会えないのは、魂を引き裂かれたようにつらい――嫌われても調停を続けて、母親の存在を示す

2021/01/30 16:00
西牟田靖

『子どもを連れて、逃げました』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第1回 高橋芽衣子さん(仮名・51)の話(後編)

息子と会えないのは、魂を引き裂かれたようにつらい――嫌われても調停を続けて、母親の存在を示すの画像1職場で出会った3歳上の小柄な男性と1年ほど付き合い、妊娠し、結婚した高橋さんは、出産前後に夫に対して違和感を覚え始める。子どもが生まれてからは、人の話を聞かない、切れやすい、超クレーマーといった本性が、徐々に現れてきた。東日本大震災をきっかけに、別れが決定的になる。

前編はこちら:「給料が少ない」と偽っていた夫、子どもが生まれてから、超クレーマーな本性があらわに!

「お父さんとお母さん、どっちがいい?」

――「こいつは人として本当に終わってる!」と思ったというのは、どういうことですか?


 東日本大震災直後の、2011年3月20日ぐらいだったかな。三越の食堂で並んでたんです。すると、彼は勝手に順番を抜かして前に出ちゃった。当然のことながら、抜かされた人から「なんで抜くんだ」って言われて、それに対して「お前が行かないからだよ!!」って怒鳴ったんです。相手はたまたま前が空いてることに気がつかなかっただけなのに、声をかけもせず。それを見て、なんでこんなことでもめるんだろうってあきれました。

 それにね、計画停電が呼びかけられてるのに、彼はそれに逆らうように、電気を無駄遣いするわけですよ。「俺は東電に対して協力する気なんかない!」とか言って、冷房を最低温度の16℃に設定して。おかげでその月の電気代は2万円を超えてしまいました。東電には協力しなくていいから私に協力してよと思いましたが、言っても聞き入れてくれなくて……その無駄遣いにあきれちゃって、「私、もう無理」って思って、家庭内別居を始めました。そのときから、私は向こうの実家には行かなくなりました。

――家庭内別居になったとき、彼と子どもの付き合い方は、どういう感じだったんですか?

 子どもは、甘やかされるほうに行っちゃいますからね。するとね、夜遅くまで父親と一緒に起きて甘いものとかバクバク食べちゃって、ついには小児生活習慣病予備軍になっちゃったんです。それで、子どもは夜は私と一緒に寝ましょうというふうになったんです。それは小学5年生のときでした。

 その後、中学受験をするってことで、受験勉強を始めたんです。でもね、夜更かししてたし、週末は彼の実家に連れてっちゃうしで、本気で勉強しなかったんです。そんなので合格するはずがないですよね。


――それで、家庭内別居から今に至る経緯は、どのような感じなんですか?

 後から思えば、中学受験の前から、連れ去るための準備を着々と重ねていたようです。2013年の3月11日だから、息子が小6の終わりのとき、彼は私がいる前で、息子に「お父さんとお母さん、どっちがいい?」って聞いたんです。すると、息子は「お父さん」って言うわけ。それって、事前に息子に聞いてるんです。「お母さんのところに行ったら、お父さんは一生会わない」って、彼が息子に言った上で聞いてるんですよ。だったら、両方会えるほうを選びますよね。

――残酷ですね。

 それだけじゃないです。その日以来、息子を実家に通わせ始めたんです。息子は下校して、いったん帰宅してから、友達と遊んだり、塾などの用事を済ませたりした後、電車で30分のところにある彼の実家に通うようになりました。

 当時、向こうは着々と引き離し工作を進めていたんです。おかしいなと思ったのは、息子にこう言われたからです。「僕がこの家にいると、僕の魂が赤ちゃん返りするって言われた」と。「誰に言われたの?」と聞いたら、彼の姉でした。

 その後、お義姉さんから電話がかかってきたことがあったので、聞いたんです。すると、「私、そういうの、見えるんだよね」って平然と言うんです。それを聞いて私、「ほんとこの人たちやばいわ」って思いました。驚愕しました。

子どもを連れて、逃げました。