【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

天皇が「ビビビ」ときた3才の少女を勧誘!? 女官スカウト、知られざる波乱の実態

2020/04/11 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

天皇が「ビビビ」ときた3才の少女を勧誘? 美しく知的なだけでは務まらない女官のお仕事の画像1
明治天皇(Getty Imagesより)

堀江宏樹(以下、堀江) 前回までは山川三千子の『女官』に基づき、明治・大正天皇時代の宮中の“奥”の世界を覗き見してきました。

 “奥”の世界を歴史用語でいえば、「御内儀(おないぎ)」です。御内儀とは、宮中における天皇家の方々の居住空間。私的空間のことです。そこに仕える女官たちは、「御内儀で見聞きしたことは、外部に決して漏らしてはいけない」と先輩女官たちなどから教えられていたのですが、昭和~平成にかけ、元・女官だった女性たちによる証言がいくつか残されてはいます。彼女たちが女官だったのは明治後期~大正時代にかけてです。

 そして、彼女たちの勇気ある証言によって、われわれは大正時代の御内儀という秘密の世界の姿を知ることができるのでした。山川三千子の『女官』で見る大正天皇は、ほかの女官たちからは「お茶目」でフレンドリーな方として知られた一方、山川三千子に執着し続け、彼女からは少し怖がられた存在でした。このような経緯を記した『女官』には多少暴露本的な側面があるのですが、それ以上に過激な“問題の書”が別に存在しているんですね。

――さらなる“問題の書”とは!?


堀江 その書物の名前は『椿の局の記』。大正天皇時代に、天皇・皇后両陛下にお仕えする女官として宮中にあがった、京都出身の坂東登女子(ばんどうとめこ)さんという方の談話を、御所言葉の研究という観点から方言研究家の山口幸洋氏がまとめたものです(以下敬称略)。

 坂東登女子、旧姓・梨木登女子(なしのきとめこ)は明治25年に京都で生まれました。ご実家は、京都の梨木神社(なしのきじんじゃ)の神職を勤めるお家柄で、貴族とか公家とは少し違いますが、宮中とのご縁も代々深かったとのこと。彼女の父は明治天皇のお手紙を代筆したりする「右筆」(ゆうひつ)の仕事をしていました。その関係で東京に天皇が引っ越しなさった後も宮中とのやりとりは続き、明治28年には父に連れられ、坂東登女子も上京。彼女は当時まだ3歳でしたが、そこで明治天皇に面会しました。

 明治天皇にはよほど「ビビビ」とくるものがあったのでしょうか。彼女が6~7歳になると天皇から「あの娘を女官(正確には女官見習い)にさせたいから、東京によこしなさい」というお誘いが熱心に来たそうです。

『椿の局の記』