【連載】別れた夫にわが子を会わせる?

「義母がくれたのは、3万1000円のガスレンジだけ」訛りの強い東北で、四面楚歌の結婚生活

2018/03/12 15:00

目と鼻の先に引っ越してきた両親からも責められるように

――その後は、専業主婦だったんですか?

 息子が生まれた後は、養鶏場でバイトしていました。方言が理解できなかったので、看護師は難しかった。だけど娘が生まれてしばらくたった頃には、方言が理解できるようになっていました。それで、娘が学校に入るタイミングで看護師に復帰しました。子どもが2人になって、家計のやりくりに不安を感じるようになってたし。夫に「復帰したら、家のことを少し手伝ってもらうけどいい?」って聞いたら、なんて言ったと思います? 「いいんじゃないの。オマエの仕事が増えるだけだから」って言うんですよ。

――九州にいたご両親との関係は、どうなりましたか?

 それが、結婚して6~7年後(2000年頃)、九州で経営していた店を畳んで、こっちに引っ越してきたんです。私の家と目と鼻の先の、道路向かいの家。私、一人っ子なんで、老後の面倒を見てもらいたかったみたい。それで今度は、両親からも責められるようになりました。「オマエがうまくいっとるごと信じとったたいね。ほんなこつこのザマは何ね?(オマエがうまくいっていると信じていたのに。本当にこのざまは何だ?)」って。

――山本さんのご両親と旦那さんの関係はどうでしたか?


 両親はこっちの家族観が理解できなくて、夫や彼の実家に対して怒ってました。とはいっても、直接、彼らに言えるわけでもない。だから、私に文句ばかり言うんです。「オマエの夫はおかしか」って。すぐそばに住んでるのに、ギクシャクして、両方の家族の間に会話はまったくなかった。

――四面楚歌ですね。

 ほんとそう。しかも、義父母や義妹からはお金の無心をされてばかり。どこにも頼ることができなくて、私、精神安定剤を飲んで、「別れたい」って独り言を言いながら、毎日泣いてました。
(後編へつづく)

最終更新:2018/03/13 15:51
わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち
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