サイゾーウーマンコラム仁科友里「女のための有名人深読み週報」浜崎あゆみに見る「メンタルの老い」 コラム 仁科友里の「女のためのテレビ深読み週報」 浜崎あゆみ、『しゃべくり007』での“ぶりっ子”リアクションに感じた「メンタルの老い」 2017/06/22 21:00 女のためのテレビ深読み週報 全盛期の浜崎あゆみはぶりっ子ではなかった 全盛期の浜崎は、こうではなかった。金髪、大きなサングラス、ヒョウ柄、手の混んだネイルなど、ギャルファッションが注目を集めていたものの、『浜崎あゆみはバカじゃない』(ニッポン放送)というラジオ番組で、両親の離婚や、ブレークした後も消えることのない孤独感を隠さず語るなど、ステレオタイプのギャルとは違うことをアピールしていた。とりわけ有名だったのは、同番組での「Ayuは浜崎あゆみの裏方さん」 という発言である。「“浜崎あゆみ”というアーティストのパフォーマンスを向上させるために、Ayuは日々努力をしている」という意味で、この“客観性”を、多くの人が「頭がいい」と評価した。 事実、浜崎は、職人気質でツアーの際は全てのチェックを自身で行い、バックダンサー一人ひとりに挨拶するともいわれていたのだ。それに、歌番組では口数少なく、しゃべるとしても低い声でだるそうに話していたように思う。 外見とファッションセンスの良さ、努力家、トラウマ、礼儀正しさ、「私らしく」というフレーズが代表する自意識の強さ……かつての浜崎は、同性ウケする性質を多く備えていて、ぶりっ子の要素はまったくなかったのだ。 ぶりっ子とは、異性に自分の可愛さをアピールするための行為といえるが、全盛期の浜崎は、可愛いといわれることに、さして価値を置いていなかったのではないだろうか。なぜなら、浜崎が可愛いことは、当たり前のことだったからだ。 しかし、日本は女性の年齢に厳しい国なので、20代でなくなると、それだけで男性ファンが減ることも、浜崎のように体形が変わると、攻撃の対象になることもある。「若い」といわれて喜ぶのは、若さを失いつつある人、もしくは若くない人であるように、「可愛い」と言われたがるのは、「可愛い」と言われなくなりつつある人である。浜崎の突然のぶりっ子路線は、失われつつある「可愛い」を求めているということではないだろうか。つまり、「可愛い」と言われたいと思うのは、一種の“老い”なのである。 現在、浜崎はツアー中だといい、インスタグラムで、ライブの最中に靴紐がほどけてしまった時に、ダンサーのジンが近づいてきて結んでくれたことを受け、「ああ、生まれ変わったら絶対にこの人の娘になりたいと思いました」と綴っていた。目の前のやるべきことを放置して、来世や死後のことを語るのも、一種の老化現象である。浜崎よ、とりあえず痩せてくれ。全てはそれからだ。 仁科友里(にしな・ゆり) 1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。 ブログ「もさ子の女たるもの」 前のページ12 最終更新:2017/06/22 21:33 Amazon M(A(ロゴ表記))DE IN JAPAN(CD+DVD+スマプラ) 「来世に期待」と言うにはまだまだ早いよ!! 関連記事 “女医タレント”にこだわる西川史子に見る、「母親の夢を全てかなえる娘」の陰小原正子の夫婦エピソードはなぜ笑えない? “モラハラ夫”と“認められたい妻”の構図GENKINGの“ズレてる”自意識を浮き彫りにした「セレブ偽造で借金苦」の過去「パン屋に詳しい女」を嫌うSHELLY……テレビで「オンナによるオンナ叩き」が蔓延するワケHKT48・指原莉乃は、本当に「友達がいない」のか? 自虐発言ににじみ出る“生臭い野心” 次の記事 滝沢『こどもつかい』、初登場4位と地味な成績 >