「聞こえない人をわかって」とは思わない! ろうの映画監督が語る、健常者との“壁”
■「聞こえない人のことを映画で伝えなければ」と思わなくなった
――今村監督が映画監督を目指したきっかけは何でしょう?
今村 映画監督になりたいというのは小学生からの夢です。家族で耳が聞こえないのが私だけなので、父が私も一緒に楽しめるようにと、よくレンタルビデオで字幕の映画を借りてきてくれたんです。最初に見たのがスティーヴン・スピルバーグ監督の『E.T』で、それがすごく楽しくて映画が大好きになりました。父が借りてくるのはアクション映画が多くて、そればかり見ていましたね。もっといろいろな映画を見たいなと思っていましたが、当時、普通の学校に通っていた私は、友達の会話に入っていけなくて寂しかったので、アクション映画でストレスや寂しさを発散できたことは今思えば良かった。父の選択は正しかったんです(笑)。
――スピルバーグ監督やアクション映画を見てきた今村監督が、ドキュメンタリーの監督になったのは?
今村 映画製作の勉強をするためにアメリカ留学した後、名古屋ビデオコンテストが参加者を募集しているのを知ったんです。私は目標がないと動かないタイプなので、これに応募してみることにしました。テーマは自分の母校。ろう学校なのですが、一般的にろう学校はどのような場所で、どんな生徒がいるのか知らない方が多いですよね。でも耳が聞こえないこと以外は、ほかの学校と変わらないんですよ。
――それが『めっちゃはじけてる!豊ろうっ子 /~愛知県立豊橋ろう学校の素顔~』(2001年)ですね。確かに知らないと、勝手なイメージを抱きがちです。
今村 それをわかってもらいたくて映画にしました。その映画にはナレーションとレポーターを健常者の高校生にお願いしたんですが、彼は2日間、ろう学校で生徒たちと過ごすことで、耳が不自由な人への考えが変わったと言ったんです。ずっと心のどこかで「可哀想」だと思っていたけど、可哀想なのはそう思う自分の方だと考えるようになったそうです。彼の変化する様子が映像に映し出されているのですが、そのとき、映像の力ってすごいと思いました。ろう学校を経験してもらうことが理解する一番の方法ですが、映画はその経験を伝えることができるんです。その作品を経て、私はドキュメンタリー映画の監督としてやっていこうと決めました。偏見は知らないから生まれる。だから私はそれを映画で変えていこうと。