【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

“天皇の主治医”めぐる問題とは? スキルより重視される「伝統」……庶民以下の医療体制

2023/01/14 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
秋篠宮さまと悠仁さまを抱えた紀子さま(C)GettyImages

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、昭和天皇崩御の前後について雑誌記事中心に振り返ります。

――昭和天皇崩御当時の記事を振り返っていくと、マスコミの姿勢が今では考えられないほど宮内庁に“攻撃的”だったように思えます。その背景には、当時「がん」に関する情報や知識が一般的に乏しかったこともあるのでは、と思われました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇は危篤に陥られたとき、御年87でいらっしゃいました。これは昭和60年の記録ですが、当時の日本人の平均寿命は「74.95」歳にすぎません。平均寿命は戦後、じわじわと伸び始めていましたが、その平均寿命を13歳以上も上回る、87歳という長命のご老人は珍しかったといえる気がします。

 一方、平均寿命が「男性 81.47 年、女性87.57年」にまで伸びた2022年現在では、高齢者の多くが悩まされる病気として、「アルツハイマー型認知症」にならんで「がん」も挙げられています。

 昭和25年頃から「がん」は、日本人の死因の上位5位に入り続けたものの、老化現象のひとつとしての「がん」がクローズアップされるようになったのは、ごく最近の長寿社会ゆえのことだと思うんですね。


 ですから、この頃の雑誌記事を見ていると、昭和天皇がおそらく「末期がん」であるがゆえの「ご重態」にもかかわらず、宮内庁が「危機的状況ではない」と報道したことを矛盾だと指摘する記事が散見されます。それというのも、「たとえ末期がんであっても、病と共存できている期間は案外長く、つねにベッドに横たわっていなくてはならないわけでもない」という“真実”が、一般的には周知されていなかったからでは、と私は思うのです。

――なるほど。

堀江 「アサヒ芸能」1988年10月6日号(徳間書店)に掲載された「大報道陣をイラつかせる宮内庁の秘密体質」という記事では、陛下に「(がんに由来する)黄だんが見られた」にもかかわらず、昭和天皇が「大相撲見物を中止しなかった」ことについて、宮内庁の長官が叩かれていますね。

 それを知った、宮内庁OBにして元・東宮侍従だった浜尾実さんは「仰天」し、陛下がひたすら我慢しながら、宮内庁が決めた予定をこなしたのではと考え、宮内庁のお役人を批判するという文章があります。

――浜尾氏によると、重病でも寝ていられない「陛下がお気の毒」とのことですが……。いまでは、末期がんの方がお出かけするのは珍しくないと思われます。


堀江 この時、宮内庁の「侍従長」は、相撲見物を止めなかった理由を「お上(陛下)は相撲がお好きだし、ご体調も悪くなかったから」と回答しています。これを浜尾氏は、お役人特有のお気楽さだと受け取ったのでしょうが、本当は陛下のことを想った宮内庁の決断であろうと私は感じました。

 余命が宣告された、しかも高齢のがん患者さんにとっては、まだ自由に体が動くうちにお好きなことを何でもさせてあげることが一番、大事だと思うのですよね……。

乙女の日本史 堀江宏樹,滝乃みわこ