ジャニー喜多川さん命日に偲ぶ

ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】

2022/07/09 17:00
松元優樹(まつもとゆうき)
NHKホールを訪れたジャニー喜多川さん(写真:サイゾーウーマン)

 ジャニー喜多川さんが亡くなってから早3年。7月9日の命日にその功績を偲んで、ジャニーさんと縁が深いアメリカ・ロサンゼルスの「高野山米国別院」にお話を聞いてきました。同院は、僧侶だったジャニーさんの父が戦前に主監を務め、ジャニーさんきょうだいが生まれ育った場所。2019年8月、ジャニーさんが亡くなって1カ月後にジャニーズJr.の美 少年が同地で公演を行い、最近でもTravis Japanが訪れるなど、現在でもジャニーズ事務所とつながりのある寺院です。高野山米国別院の第10代主監、松元優樹さんにジャニーさんや喜多川家にまつわる歴史を聞きました。

・松元優樹(まつもとゆうき)
米国ロサンゼルスの高野山米国別院、第10代主監。1979〜82年まで高野山米国別院に開教師として赴任。その後、シアトル高野山に5年務めて帰国。2020年1月から高野山米国別院で主監を務める。

ジャニー喜多川さんの父、 3代目主監・喜多川諦道先生

 高野山真言宗の海外布教が始まって、公式には今年で110年になります。1912年、米国へ船に乗ってひとりのお坊さんがやってきました。ロサンゼルスには既に日本人の移民が住んでいましたので、浄土真宗はじめ、さまざまな日本の仏教がロサンゼルスで開教していました。真言宗の教宣に関しては1912年ということになっています。

 高野山真言宗の組織は、いわゆる管長猊下(げいか)という宗教上のトップがおりますが、運営側のトップとして宗務総長というお役職があります。その下に、教学部長とか財務部長、法会部長というお役職があり、宗教団体としてのピラミッドができています。それが、高野山真言宗という宗教団体の組織です。

 明治期、すでに日本人の海外移民は行なわれていました。中国大陸をはじめ、ハワイ、アメリカ太平洋沿岸地域に進出していた日本人に対し、高野山でもこれらの地域での開教に強い関心を持っていたのです。そこで、時の管長猊下より北米宗教事情を視察と開教を命じられた青山秀泰(しゅうたい)というお坊さんが、1909年(明治42年)、船に乗ってサンフランシスコに上陸したのでした。


 その方がこの高野山米国別院、初代主監・青山秀泰先生であります。真言宗が北米大陸に初の布教所「米国大師教会」を設立したのが12年(明治45年)ですから、実に3年もの間、苦労を耐えて初志貫徹されたということです。青山先生は1921年(大正10年)に帰国されました。

 青山先生の跡を継いで米国大師教会第2代主監に就任したのが高田宝戒(ほうかい)先生という方でした。高田先生は1922年(大正11年)から1924年(大正13年)まで主監をお務めになられました。この方も非常に秀才でして、説教をさせたらほかの宗派の人も敵わないというくらいお話が上手な方だったそうです。

 そして、3代目が喜多川諦道(たいどう)というお坊さんです。この喜多川諦道先生こそ、ジャニー喜多川氏のお父さまです。この方の履歴が面白い。

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