サイゾーウーマン男性アイドルSTARTO(旧ジャニーズ)ジャニー喜多川さんのファミリーヒストリー 男性アイドル ジャニー喜多川さん命日に偲ぶ ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】 2022/07/09 17:00 松元優樹(まつもとゆうき) ジャニーズジャニー喜多川 ジャニー喜多川さんがステージボーイをした高野山ホール 日系人というのは、戦前・戦中・戦後を通じて人種差別の対象でした。私も40年前にロサンゼルスに来たときに、やっぱり差別を受けました。そういうこともあったので、日系人は戦前〜終戦後、自分たちの文化を外に発信することができなかったんです。 例えば日本の空手、柔道、剣道で「試合をしましょう」「会場を借りましょう」となっても、「日本人には貸さないよ」と言われる。そういうことが続きました。そこで、高野山はどうしたかというと、多目的ホールを造ろうと。試合をやったり、日本の浪花節や三味線のお師匠さんが来たときに披露できるようなステージもあるホールを。 この投稿をInstagramで見る Koyasan Beikoku Betsuin(@lakoyasan)がシェアした投稿 今、ここの高野山ホールのキャパシティは600人です。ステージがあって、その奥にお堂があります。お堂の前の戸板をパタパタと閉じると、お堂の中は見えない。このステージを使って、例えば浪曲や三味線や歌舞伎などもやっていた。ジャニーさんは、そういうショーがあるときに、ステージボーイとして大道具を出したり、小道具を渡したり、幕を閉めたり、ライティングをしたり、マイクロフォンをセッティングしたりしていました。 ジャニー喜多川さんにはお父様の「人を楽します」血が流れていた その後、ジャニーさんは日本に帰って、テレビ界に進出していくことになるんですけれども。おそらくジャニーさんの血の中には、お父さまのそういう「人を楽します」とか「人を喜ばす」という、その血がそのまま流れていたんでしょう。 また、ボーイスカウトを作ったり水兵さんを招待するくらい、お父さまは若い人たちを集めるのが得意だった。やっぱり影響されていたのかもしれないですね。やはり「血」と言いますか、「DNA」だと思います。 「別院百周年記念誌」には、フォーリーブスが訪問した記録も残っています。美 少年、Travis Japanと訪問が今でも続いているのは、喜多川ファミリーの心の中に、アメリカに対する感謝の気持ちと、米国別院への懐かしい記憶があるからだろうと思います。ジャニー氏、メリー女史とも、アメリカにおける数々の経験や、父親との高野山別院との関係を懐かしく感じていらしたことは確かでしょう。 次のページ ジャニー喜多川さんはお父さまが弟子入りをした高野山に帰った 前のページ123456789次のページ Yahoo Blu-ray/JOHNNYS’ Worldの感謝祭 in TOKYO DOME 関連記事 ジャニーさん家族葬、集合写真の撮影裏話に「泣ける」「ありがとう」の声上がるジャニー喜多川社長「お別れの会」で配布した幻の冊子、「秘蔵写真」と「名言」にマスコミ騒然! ジャニー喜多川氏家族葬――木村拓哉の“一言”に「笑いすぎて声出ない」ジャニタレ続出「じゃあ、うどん食べる?」「YOU、天才だよ!」ジャニーさん名言集~オキニ編~「YOU、不快」「誰が雑誌に出て良いと言ったの?」ジャニーさん名言集~暴言編~