【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

妃殿下、「革ジャン」着用で大問題に! 皇室儀式に「あんなモノを着て!」と女官大激怒【日本のアウト皇室史】

2020/09/12 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。

gettyimagesより

――これまで、女官たちから妃殿下に行われる厳しい指導についてうかがってきました。まるで異なる世界のルールに悩む勢津子妃に、夫である秩父宮様はどう接しておられたのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 宮様はおやさしいのです。秩父宮妃殿下の自伝『銀のボンボニエール』(主婦と生活社)には、宮様が「宮中には私が教えようもないほどいろいろあって大変だと思うが、結局、それは自然に覚えるしかない。あまり気にしなくてもだんだんと覚えればいいですよ」というお言葉で、勢津子妃をねぎらったということが書いてあります。勢津子妃は「この宮様だけを頼りにして、お言葉どおりについていけばいいのだ」と思ったといいますね。

――夫婦の愛ですね。

堀江 そう。お二人の時間は、夫婦の時間なのですから、お二人がそれでよければよいはずなのです。しかし、そういうわけにもいかないというのが皇族のしきたり……。たとえば、宮様は結婚なさった後も青山にある陸軍大学まで赤坂の秩父宮邸から徒歩で通っておられました。


 陸軍大学時代も、学生としての勉学と皇族の公務を両立させるという、大変なスケジュールで宮様は動いておられました。学業だけ考えていればよいほかの学生からも、あまりに課題のたぐいが多すぎると音をあげるくらいのスパルタ教育が、当時の陸軍大学では行われていたのですが、不平をこぼすと「戦争中にそんなことが言えるか!」と一喝されてしまうだけ。ちなみに秩父宮様は、その後も学生時代と変わらぬハードな日々を送ることを自分に課し続けたがあまり、後に過労が原因で体調を崩し、肺を病まれてしまうのです……。

――皇族は優雅な生活を送っているのではないことが、この記述からもよくわかります。

堀江 当時の宮様は午後4時~5時くらいに大学から戻られるのですが、その時間、妃殿下はもちろん、「家来」と呼ばれていた邸内の職員すべてが並び、お帰りを待つのが「習慣」でした。

 その後、宮中や各国大使館での晩餐会など公務がない限りは、夜遅めの時間にはじまる宮邸のディナータイムの前に、好物のアンパンを食べてから、宮様は学校で出された課題に取り組むのでしたが……。

――おやつはアンパンですか。当時はハイカラな食べ物だったと聞いたことがあります。


堀江 そうなんですよ。しかし勢津子妃は甘いものが子ども時代から苦手だし、パン食文化の本場であるアメリカ育ちといってもよいお方ですからね。パンにアンコという取り合わせがおイヤだったそうで。一度もアンパンを食べなかったというのです。すると職員が気を利かせて別のメニューを一緒に作って出してくれたら、それを何も疑わずに喜んでパクパクいっていた、と。

革ジャンの教科書