【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

皇族の知られざる素顔――48歳年下の養女に手を出すトンデモ天皇がいた!? 【日本のアウト皇室史】

2019/06/29 17:00
堀江宏樹

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。最近では、女性・女系天皇論争の皇位継承者問題や秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約者・小室圭を巡る一連の騒動などが注目されているものの、実は、こんなのは大した騒動ではなかった……? 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

 魔性のタフマンおじいちゃん・白河法皇

―――最近、天皇家への注目度がいまだかつてないほど上がっている気がしています。芸能人とはまた違いますが、ジャニーズアイドル並に週刊誌やテレビでもよく目にしますし。

堀江宏樹(以下、堀江) 天皇陛下の代替わりとともに、元号も「平成」から「令和」に変わりましたね。日本の長い歴史の中に自分たちも生きているんだなぁ……と思える特別な瞬間でした。2019年4月30日まで天皇陛下だった方が、皇太子殿下に位をゆずって、“上皇”陛下になったり。“上皇”と呼ばれる方が日本にいるのは、じつに約200年ぶりとのことです。

―――約200年前ということは、江戸時代! “上皇”という言葉は、歴史の教科書の中にしか存在しないと思っていたので、日本の長い歴史の延長線上にわれわれも生きているということを実感させられますね。サイゾーウーマンでも皇室ウォッチ系の記事が好評なんですが、歴史上の皇室というとまた別次元の話のような気がします。そこはどうなんでしょうか。


堀江 そうですね、実際にまったく“別の世界”だと思います。時代にあわせて変化していくことこそが、皇室の変わらない伝統だという人もいますね。たとえば、明治・大正時代くらいまでの天皇には、いわゆる「側室」と呼べる女性がいてもおかしくはないというのが世間の常識だったし、実際にいたわけです。しかし、昭和時代以降、そういう伝統は「時代にそぐわない」として消えてなくなりましたね。

―――「側室」はお世継ぎを授かるために……ということでしょうか?

堀江 はい。でも、昔は「お世継ぎ」のためだけではないでしょうね。天皇家は日本最上位の“スーパースター”の一族。そして、スター性があり、権力を極めた“強い”天皇ほど、多くの子どもがいる傾向が強いんです。つまり、それを言い換えると、彼らが心身ともに健康で、個人的にも魅力がすごく、“モテにモテた”結果だとも言えるんですね。たとえば、天皇家の長い歴史の中でも、もっとも強い権力を握った人であろうと思われる、平安時代後期の白河天皇(1053~1129)には、その手のすごいエピソードがいっぱいあるのです。

新品本/本当は怖い世界史 戦慄篇 堀江宏樹/著