サイゾーウーマンカルチャーインタビュー「吉原遊廓はすごい!」は“幻想”? カルチャー 『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』永井義男×『男娼』中塩智恵子×現役風俗嬢・曼荼羅【座談会・前編】 「吉原遊廓はすごい!」は作られた“幻想”? 江戸時代~現代をめぐる風俗文化のウラ側 2018/06/30 19:00 江戸時代にも風俗情報誌、送迎、指名制度が? 中塩 今はかなり減りましたが、少し前まで風俗情報誌はたくさん出回っていました。江戸時代にも“吉原細見(よしわらさいけん)”という風俗情報誌があった、と書いてあって驚きでした。 永井 店名、場所、遊女の名前……そういう情報が全部載っているものがありましたね。 中塩 いわゆる名鑑ですね! これ、作っていた方は吉原で働いていたんでしょうか? 永井 最初に作ったのは、歌麿や写楽を売り出したことでも知られる蔦屋重三郎(現在のTSUTAYAとは無関係)。彼のアイディアで出したら大ヒットしたそうです。ただ、当時は著作権や版権などない時代ですから、売れたらほかも“わー!”と一斉に作るんですね。だから、いろいろな版元から出ています。掲載されている情報はほぼ同じですがね。 曼荼羅 有料だったんでしょうか? 永井 値段はよくわからないのですが、有料でした。吉原に行く人はもちろん、お土産として買った人も多いと思います。吉原は高くて遊べなかったけど、“吉原細見”くらいなら買えるので、お土産として持って帰ったんですね。東京は空襲だの震災だので結構焼けてしまいましたが、地方の旧家なんかの蔵を探すと、まだ出てくるんです。 曼荼羅 ご先祖さん、吉原に遊びに行っていたってバレちゃいますね(笑)。 中塩 そうですね(笑)。風俗情報誌があったなら、例えば今でいうお客様の“送迎”みたいなのはあったんでしょうか? 吉原は最寄駅から遠いこともあって送迎車が出ていますよね。 永井 車での送迎、というのはもちろんありませんが、船宿はなじみの客になると、サービスで「お送りします」って提灯をもってお店まで送り届ける、というのはあったようですよ。あくまで“おもてなし”という意味での送迎ですね。 曼荼羅 今でいう、“指名制度”みたいなのもあったんでしょうか? 永井 はい。吉原は“永久指名制度”だったそうです。その子と決めたら、その店ではその子だけ。それがルールだったみたいです。 曼荼羅 それいいですね! 同じ店の中で何人も指名してしまうと、女の子の間でそのお客さんが有名になってしまったり、トラブルになってしまったりしますからね。 永井 今は皆さん仕事が終われば家に帰れるでしょうけど、吉原の女性は職住同一ですから、朝から晩まで一緒にいなきゃならない。だから、働いている女性が客のことでもめないように、その辺の配慮はしっかりしていたみたいですね。 (後編:遊女の初体験、男娼との3Pや性病まで! 吉原遊廓の“お江戸性事情”座談会) 前のページ123 最終更新:2018/07/02 16:06 Amazon 吉原と日本人のセックス四〇〇年史 実家の倉庫の奥にもあったりして…… 関連記事 「さすが吉原」――デブのおばさん風俗嬢が、吉原で“ソープ嬢デビュー”して見えたこと風俗デビューは巨乳&でぶ専門のデリヘルだった。「おちぶれアラフォー風俗嬢」の履歴書由緒正しい家柄から風俗嬢へ 高校時代に8,000人と経験した女性がヤリマンになった理由他人ごとではない? 風俗嬢専門の女性医師が梅毒やエイズの世界的大流行を予言!普通の主婦が風俗嬢になる理由 「主婦デリヘル」の実態 次の記事 二宮・井ノ原ドラマが14%超で上位終了 >