【連載】ヤリマン女の性生活報告

由緒正しい家柄から風俗嬢へ 高校時代に8,000人と経験した女性がヤリマンになった理由

2016/08/11 15:00
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 “誰とでもセックスするヤリマン”と聞くと、我々は、受け身の人間性を想像してしまいがちである。確かに、一昔前に“サセ子”“公衆便所”と呼ばれていたようなヤリマン女性たちのイメージは、男の欲望に無条件に従う(どこか頭の弱い)女というものである。つまり、完全に他者の価値観、他者の欲望の中で生きているような女性像だ。

 しかし、昨年から“ヤリマン”を冠したトークライブを主催している筆者が会うような近年のヤリマン女性たちの多くは、驚くほど自己中心的で、自らの欲望を最優先する《捕食者》のメンタリティーなのだ。果たして、“ヤリマン”を自称する女性は、一般女性読者の目にはどう映るのだろうか? 

第1回 風俗嬢・AV女優 有奈めぐみ(前編)

■真田幸村の子孫で学習院出身のヤリマン

 まず第1回は、そんなイベント出演者の中にあっても飛び抜けた経験人数を持つ有奈めぐみを紹介したい。


 現役の風俗嬢であり、現役のAV女優でもある有奈めぐみは、筆者が聞いた中でも最多の3万人とセックスしたという。

「(経験人数は)高校時代に8,000人だったから……」

 単純計算して、高校3年間、毎日7人以上の男とセックスし続けていたという有奈。そんな“もののけ”のような話を聞くだに、すさんだ生活を想像してしまいがちだが、その実、彼女は由緒正しく厳しい家柄の出身なのだった。

「物心がついたのは、早い方だと思います。小学校1年生の時には“知らない人としゃべっちゃいけない”っていうことを理解してましたから、ついていって誘拐されるなんて、学習院の中では起きないんです」

 そう、彼女は学習院幼稚園出身の、“家柄のいい”ヤリマンなのだ。そしてその家柄とは、NHK大河ドラマ『真田丸』で知られる勇猛の武将、真田信繁(幸村)の家系なのである。片や少数の精鋭とともに、単騎家康の本陣まで突入した武功の先祖、そしてもう一方は身ひとつで3万の男たちを相手にした、その子孫。この場合、血は争えないというべきなのか。とにもかくにも、彼女は幼稚園から中学校にかけて、学習院で育った。父母はどちらも家柄がよく、学習院の同級生で恋愛結婚だが、彼女が中学3年生の頃に離婚した。幼少時の、父の記憶として残っているのは、母親への暴力と、その不可解な友人。


「家族で外食する時にひとり、いつも来ている男の人がいたんです。そのおじさんがいつもトイレについてきて、子供をハグする時の感じじゃない、撫で回すような抱きつき方をしてきたんで、母にそれを言ったんです。そうしたら父は、“オレの家族にオレの友達が何しようと勝手だ!”って、イヤらしいことをさせていたことを否定しなかったの」

■コギャル文化真っ盛りの高校時代に8,000人斬り

 本題の男性関係へと話を進めると、初体験は15歳。他校の同級生とだった。

「相手の人が“年上キラー”のヤリチンだったので、最初から、ものすごい気持ちよかった。初めてのセックスで嫌な思いしてないから、私はヤリマンになったんだと思う。その人と別れてからは次に付き合った人も“違う”“あれくらい気持ちいい人いないのか!?”って思いながら次々とヤッてましたね」

 そして、有奈は《都市伝説》のようなヤリマンとなっていった。故あってひとり暮らしをしていた彼女の部屋は、“あそこに行けばヤレるぞ”という、近隣では有名な《ヤリマン部屋》となったのだ。そして同時期に、渋谷のストリートで浴びるようなセックス体験を続けた。

「夜は渋谷で遊んで、終電で新宿に移動して、朝までは新宿のデートクラブでバイト。当時の高校生は援交なんてしなくて稼げてた時代なんで、カラオケでオヤジの頭にチューするだけで5万円(笑)」

 1977年生まれの安室奈美恵が『TRY ME~私を信じて~』をリリースしたのが1995年。1978年生まれの有奈が17歳の頃である。安室に象徴される“コギャル文化”“女子高生ブーム”が真っ盛りのご時世に、東京・渋谷のセンター街は、夜通し家に帰らず遊び続ける少女たちであふれ返っていた。史上空前のバブル経済が崩壊した直後においても、全く商品価値が落ちなかった“女子高生”というブランド。有奈は、そのカルチャーのセックス部門の頂点にいたひとりだったのだろう。

「当時渋谷にいた、ほとんどのチーマーとヤッてました。基本はナンパ。道玄坂のラブホテルで半地下みたいになってるところがあって、ひと組が普通に入ったら、道路から入れる窓からみんなを入れて、それで乱交状態でしたね。薬をやってる子も多かったけど、私はセックス専門でした。

 あとは“ヤリビル”ですね。ハチ公前の向かいの金融ビルの隣の非常階段が開放されてたんです。いつも友達と“二個一”(2人1組)で動いていたんですけど、ナンパされたら非常階段の踊り場でお互いセックスして、終わったら友達と相手を入れ替えて、またセックス。階段の上下でヤッてました。友達に“なくなった!”って言われて、ゴムを下の階に投げたり(笑)」

 ここまで聞いただけでも、8,000人斬りのために必要と書いた「1日7人」というノルマが、現実的な数字になってくる。さらに武勇伝は続く。

「スクランブル交差点で友達と信号待ちしてたら、目の前にワンボックスの車が止まって、男の人が何人か降りてきて、“ワッショイ!”って担がれる感じで入れられて、チーマーに拉致られたんです。友達はかなり抵抗してましたけどね、“抵抗して殺されたらバカみたいだから、楽しんじゃおうぜ”って言って、車の中でガンガンセックスしましたね。千葉の奥の方にたどり着いたところで、運転席と助手席にいた男とはまだヤッてなかったから、その2人ともヤッて、“こんな田舎まで連れてきやがって、送ってけよ”って言ったら、みんなもうスッキリしてたから、家まで送ってくれましたね(笑)」

 そこからの彼らは、有奈のアッシーになったという。犯罪者を犯罪者で終わらせない、底知れぬヤリマンの力。だが、高校生当時は、ステータスや見た目で男を選んでいたという。

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