『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』永井義男×『男娼』中塩智恵子×現役風俗嬢・曼荼羅【座談会・前編】

「吉原遊廓はすごい!」は作られた“幻想”? 江戸時代~現代をめぐる風俗文化のウラ側

2018/06/30 19:00

吉原で働く女性の確固たるプライド

曼荼羅 今も昔も、男の方は「一度は吉原に行くぞ!」と夢と希望を持っているわけですよね。吉原で働いている女性側も、同じ感覚が少しあるなって感じました。

中塩 女性側も希望や野心を持って、働く場所を吉原に決めるものなのでしょうか?

曼荼羅 「せっかくこの仕事をするなら吉原に行こう」って、覚悟を決めてくる女性は結構いますね。地方から、月に10日くらい出稼ぎに来てるシングルマザーの方の中には、子どものために腹を決めている感じの女性もいました。一方で、昼の仕事をする代わりに、時間の融通が利く早番でソープに出て、朝の7時くらいから夕方の16時くらいまで働くというシングルマザーの方も。子どもが帰ってくる時間に帰るんです。

永井 江戸時代は、今よりもっと女性の職業が少なかった。だから、いわゆるシングルマザーで子どもを育てるというのは、まず不可能でした。江戸時代は死別や離縁をしてもすぐ再婚することが多かったのですが、なぜかというと、結局1人では生きていけないからなんですね。女性は旦那さんがいないと経済的に生きていけない、男性は奥さんがいないと子どもを一人で育てられない。だから、恋愛うんぬんより先にすぐ再婚でした。

曼荼羅 恋愛より先にすぐ結婚だったんですね。


永井 そうです。恋愛より愛情より、先に生活の安定が大事でした。よく、「武士の妻は貞淑で、夫が死んでも操を守り通す」なんていいますけど、亭主が死ぬとすぐ再婚していましたね。それは身分の高い武士を除いて、庶民も武士も同じでした。

曼荼羅 それと、吉原で働く女性の“プライドの高さ”も多分、江戸時代から変わっていないんじゃないかなって思うんですが、どうでしょうか? 私は吉原以外の場所でもいくつか働いたことがあるのですが、ほかと比べて、吉原独特のプライドの高さを感じました。

永井 江戸時代から、プライドは持っていたと思いますよ。昔は“張り見世(はりみせ)”といって、道に面した店先に遊女が居並び、格子の内側から自分の姿を見せて客を待つ場所があったんですが、これは吉原独特で、ほかの岡場所(吉原以外の、非公認の私娼街)は何もないところに座らされていました。だから、格子の内側に座って、男たちから「美人だな~」なんて言われるのは、やはり“誇り”であり、格が違うことの象徴だったんです。その分、プライドも高くなるでしょうね。

曼荼羅 その名残がいまだにあるって、本当にすごいです。

永井 それも文化として続いているんですね。


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