『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』永井義男×『男娼』中塩智恵子×現役風俗嬢・曼荼羅【座談会・前編】

「吉原遊廓はすごい!」は作られた“幻想”? 江戸時代~現代をめぐる風俗文化のウラ側

2018/06/30 19:00
yosiwaratosex627
『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』(辰巳出版)

 “吉原”――そう聞くと、きっと思い浮かべるのは、風俗、花魁、遊郭、といった言葉たちではないでしょうか? 江戸時代の代表的な遊郭としてはもちろん、吉原は今でも東京都台東区に存在し、日本一のソープランド街として知られています。江戸時代の吉原は、今もなおさまざまなカルチャーで題材にされ続けていますが、その誕生からちょうど400年を迎えた今年、江戸の性風俗を研究した著作を多数執筆している作家・永井義男氏が風俗史家・下川耿史氏と共著で『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』(辰巳出版)を刊行。

 そこで、永井氏のほか、アラフォー現役風俗嬢の曼荼羅氏、『風俗嬢という生き方』(光文社)などの著者・中塩智恵子氏にお集まりいただき、三者の目線から吉原を存分に語り合ってもらいました。

<出席者>
永井義男(ながい・よしお)
1949年生まれ。『算学奇人伝』(祥伝社文庫)で第6回開高健賞を受賞。時代小説家として100作以上の著作を持ち、最近では江戸の性風俗を研究した著作を多数刊行している。著書に『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』(同)、『本当はブラックな江戸時代』(辰巳出版)、『江戸の売春』(河出書房新社)など。

曼荼羅(まんだら)
デリヘルで風俗デビューし、出稼ぎ&吉原ソープを掛け持ちした後、現在は素人童貞などSEXに自信のない悩める男性のためにプライベートレッスンをしているアラフォー風俗嬢。

中塩智恵子(なかしお・ちえこ)
1974年生まれ。宮城県石巻市出身。アダルト系出版社を経てフリーランスのライターに。現在は主に週刊誌で執筆。政治家、文化人、芸能人、風俗嬢、ウリセンボーイ等と幅広い取材活動を行う。近著に『男娼』(光文社)、『風俗嬢という生き方』(同)


 今もなお残る“吉原ブランド”の背景とは

――『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』を読んで、曼荼羅さん、中塩さんはどう思われましたか?

曼荼羅 同じ風俗嬢として、遊廓で働く女性に対しての共感がかなりありました。もちろん、知らないこともたくさんありましたね。江戸時代からずっと続いてきて、今もなお生きていることもたくさんあって、大昔なのに遠くない感じがしました。

永井義男(以下、永井) ありがとうございます。日本人の、男の中の吉原の文化はまだ続いていると思います。

曼荼羅 確かに、今でも「吉原は別格だ!」という感じは続いていると実感することが多いんですが、そもそもなんでそんなに“別格感”があったんでしょうか? 独特のブランディングというか、ほかの風俗とは違う何かを感じます。

永井 僕はね、吉原って富士山に似ていると思うんですよ。富士山ってきれいだとは思うんですけど、日本中に、似ている山って結構あるんですよね。でも、日本人は物心ついた時から絵や写真、文章なんかでも「富士山はきれいだ」というある種の刷り込みをされているでしょう? その上で富士山を見るから、余計きれいに見えるんですね。


曼荼羅 確かにそうですね。吉原も同じなんですか?

永井 そう。吉原も同じで、遊廓自体は全国にあったんですが、吉原の場合は文化も含めて、物心ついた時から「吉原はすごいんだ」「吉原の遊女は天女のようなんだ」って聞かされて育つんです。だから、皆江戸に行ったら、とにかく吉原に行きたいと考えたり、花魁道中を見て感動したりするんですね。もちろん吉原はすごかったと思いますが、あまりにも吉原だけが突出しているというのは、むしろ文化になってしまっているからなんです。

中塩智恵子(以下、中塩) そうやって“吉原”というブランドが作られていったんですね。

永井 当時から吉原はいろいろな戯作(小説)や浮世絵の題材になり、そうした作品で有名になって、有名だからまた作品になって……という具合で、どんどん“遊廓=吉原”というイメージが固まっていったようですね。

曼荼羅 いまだに全国から「あの吉原だ!」という感じでお客さんが来ますからね。ブランド力は伊達じゃないです。

永井 外国人も日本の文化として吉原を知っている人が多いですから、お客さんとしても結構いるんじゃないでしょうか?

曼荼羅 いますね! 外国人もそうですけど、童貞の方なんかも「一度は吉原に」と意を決してお小遣いをためてくる方が多いです。

永井 今も昔も、変わってないですね。

吉原と日本人のセックス四〇〇年史