脳梗塞の介護に疲れ、父を見殺しに? 救急車を呼ぶまでの「タイムラグ」と母への疑惑
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
いったん自分の近くに義母の令子さん(仮名・91)を呼び寄せた峰まゆみさん(仮名・63)夫婦は、これ以上令子さんの一人暮らしが難しくなったことから有料老人ホームに移した。峰さんの心身の負担は軽くなったが、令子さんは意欲がなくなり、自室で寝てばかりいる。
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「あのとき、死にたかった」義母の本心
令子さんは昨年末にコロナに感染したという。
「無事回復しました。面会ができなかったので、病状はよくわからなかったのですが、熱はそれほど高くなく、食欲が数日落ちただけで済んだらしいです。実は、コロナに感染したと聞いて、義母も90歳を過ぎていますし、お正月は迎えられないだろうと覚悟したんです。それがすんなり回復したというから、よほど生命力があったんでしょうね」
回復したのは幸運だった、と峰さんは振り返るが、令子さんにとってはそうではなかったようだ。令子さんは「あのときに、死にたかった」と何度も繰り返す。
「『死にたかった』と言う割に、今は物欲がすごいんです。携帯は持っていないので、そのあたりの紙に書いた手紙が頻繁に届きます。手紙というか、欲しいものリストですよ。この店のこんなお菓子を買って持ってきてほしいとか、このブランドのこんな服を買ってきてほしいとか」
ホームに入ってからは生きる気力もなくなったようで、食事のときに部屋を出る以外はベッドで横になってばかりいた令子さんだ。それがコロナから回復すると、俄然さまざまな「欲」が出てきたのだという。
服は、最近仲良くなったホームの入居者が着ているのと同じようなものが欲しくなったらしい。お菓子は、スタッフに付け届けするためだと峰さんは苦笑する。そんなことをしなくても、スタッフは十分よくやってくれているのに、と思うが、人より少しでも良い待遇を得たいという思いからなのか――。
「コロナで死にたかった」という令子さんと、その言葉の対極にある物欲――それを峰さんは「生への執着」だと言うが、この矛盾する言動が峰さんにはどうしても理解できないという。
義母は義父を見殺しにした
「実は、義母は義父を見殺しにしたようなんです」
あくまでも推測だが、と断りつつも、峰さんはサラリと明かした。
20年近く前のこと。脳梗塞を起こした義父を長く介護していた義母は、義父が2回目の脳梗塞を起こしたとき、すぐに救急車を呼ばなかった、というのだ。
「その時の様子を後日義母から聞いていて、救急車を呼ぶまでの間にタイムラグがあるのに気づいたんです。義母は半身が不自由だった義父の介護に疲れていたのかもしれませんし、不自由な体でなんとか生きてきた義父を不憫に思って、もうこの辺で終わりにしようと思ったのかもしれません。だから、義母のことを責めるつもりはありません。夫はこのことに気づいていないのか、何も言わないので私も自分の胸にとどめているのですが」
令子さんは、しばらくしてから救急車を呼び、義父は病院に着いてまもなく亡くなったという。
もし一命をとりとめたとしても、義父はもっと状態が悪くなっていただろうから、義父も義母もつらい思いをすることになっただろうと峰さんは言う。だから、病院で死ぬことのできた義父はまだ幸運だったとも思う。
それだけに、義父の死を選択するボタンを押した義母が、「あのときに死にたかった」と言いながら、峰さんに見せる「生への執着」に戸惑っているのかもしれない。