老いゆく親と、どう向き合う?

「今日がヤマ」と言われてから2週間……30代シングル女性が冷静に見つめた母の“最期のとき”

2022/05/01 18:00
坂口鈴香(ライター)
写真ACより

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 中村万里江さん(仮名・36)は、末期がんの母、晃子さん(仮名)を最期に高次脳機能障害の父、博之さん(仮名・69)と過ごさせたいと考え、隣県の有料老人ホームに2人を転居させることにした。

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母と兄、3人で最後の自宅生活

 晃子さんが退院して、ホームに移るまでの4日間、中村さんは母と兄の3人で過ごした。生活保護を受けて大阪で暮らしている兄を呼ぶことに、不安がなかったわけではなかった。


「兄に帰って来るか聞いたら、『来る』と言うので。兄はお願いしたことはやってくれるようになっていたので、まあいいかと思いました(笑)」

 訪問看護師の手配などはしていたが、自宅にいる間はホーム入居の準備、親戚や晃子さんの友人対応で忙殺された。晃子さんの瞑想グループの来訪は伯母から断ってもらったという。

 夜中の介護も想像以上に大変だった。

「母は30分から1時間おきに起きるので、兄は『全然眠れなかった』とこぼしていました。翌日は私が介助したのですが、兄の言うとおり、寝ようとすると起こされるんです。これは体がもたないと思い、3日目は兄と交替で介助をすることにしたので、ちょっと楽になりました」

 そして晃子さんはホームに移った。訪問看護師から晃子さんの状態が厳しいと伝えられていたので、翌日には博之さんも入居した。


「十数年ぶりに家族全員が揃うことができました。コロナ禍でしたが、看取り期なので、家族の面会も許されていたんです」

 その後、晃子さんの状態は徐々に低下していった。一度尿量と血圧が低下し、危ないと連絡が来た。兄も再び上京してホームに泊まったが、幸いヤマは越えた。

「これからこうしてたびたびホームに呼び出されても、自宅から1時間以上かかるのですぐには行けません。それでホーム近くのホテルに泊まり込むことにしました。ちょうどGO TOキャンペーンもはじまっていて、恩恵を受けることができたのはラッキーでした」

 ホテルに泊まり込んで2週間。ホームに面会に行きつつ、ホテルから仕事にも通った。博之さんもたびたび晃子さんの部屋を訪れ、2人で過ごしていた。

「父はずっと母の手を触っていました。失語でしたが、歌は歌えたので、『上を向いて歩こう』を歌っていましたね」

家族を看取る—心がそばにあればいい 國森 康弘 A:綺麗 J0580B