【連載】わが子から引き離された母たち

出産した息子と25年前に生き別れに……10歳年上の芸術家と結婚、62歳女性の悲劇

2021/12/30 11:00
西牟田靖
出産した息子と25年前に生き別れに……10歳年上の芸術家と結婚、62歳女性の悲劇の画像1
Unsplashより

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第7回 檀恵美子さん(62歳・仮名)の話(前編)

「元夫の家に泊まりに行っていた息子を迎えに行くと、玄関のドアに貼り紙がしてあったんです。『当分の間、旅に出ます。この家には二度と近づくな!!』って」

 檀恵美子さんは25年前に起こったことを淡々と語った。以来、彼女は息子と生き別れだ。

「まだ幼かった頃の、愛くるしかった息子に会いたいです……」


 彼女は一方的に息子を奪われたのか? それを防ぐ手段は取れなかったのか――?

10歳年上の芸術家と結婚し、男の子を出産

――生い立ちを教えてください。

 関西南部の出身です。前の東京五輪よりも前の、高度成長期に生まれました。両親だけじゃなく親戚のほとんどが学校の先生という、そんな家柄でしたので将来の進路は教師以外考えられませんでした。

 1977年に東海地方の教育大学に通い始めて、私の人生、変わってしまいました。地元を離れてはじけたんです。当時、人気のあったフォークやロックにはまって、ライブハウス通いをしたり、自分で弾き語りをしたり。仲間とお酒を飲んだり。親元にいて守られていた頃にはなかった自由を手に入れました。

――なるほど。片田舎にいた真面目な少女が、カウンターカルチャーとかヒッピー文化とかにどっぷりハマったんですね。それで卒業後はどうしたんですか?


 実家に戻って、教師になりました。小学校の先生を志望していたんですけど、採用されたのは中学校。教師は11年間続けましたが、私にとって大変な生活でした。というのも、音楽の先生なのにピアノがうまく弾けなくて。しかも音楽のほかに家庭科や体育を教えたり、毎日それはもう必死でした。部活の顧問もやっていました。中高と自分もやっていたバスケ部で生徒たちをしごいていたんです。

――ヒッピーとしごき、なんだか結びつかないですね。その後、どのようにして結婚されたんですか?

 遊び仲間の男性Aと結婚しました。ところが一緒に暮らしてみると、AはひどいDV男で顔が腫れて大きさが変わるぐらいまで殴られました。音楽の趣味は私と一致したんですけどね。

 結局、Aとは1年で離婚して、その後、Bと再婚しました。会えなくなったのは、そのBとの間にできた子どもです。

――Bさんとは、どんなふうに知り合ったのですか?

 90年に開催された某野外フェス。そこで私の隣にテントを張ったのが大学時代の友人で、そこに一緒に来ていたのがBでした。Bは10歳ほど年上の芸術家で、本当に素晴らしい絵を描くんですよ。でも、いい絵を描くからといって良い人とは限らないのに、会った直後はそれがわからなくて。Bの作品の素晴らしさと自由さに惚れ込んでしまったんです。

――結婚を決断したのはなぜですか?

 翌91年に妊娠がわかったからです。出産直前まで教師を続けてから退職、その時点で婚姻届を提出。東海地方にあるBの実家に同居し始めて、92年8月に男の子を出産しました。

子どもを連れて、逃げました。