【連載】わが子から引き離された母たち

車に監禁されて離婚届にサイン! それでも、元夫との共同養育がうまくいっているワケとは?

2021/07/17 16:00
西牟田靖

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

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写真ACより

【連載】第4回 平川美月さん(仮名・42)の話(後編)

 ほぼ1週間ごとに、元夫と自分の家を行き来させて娘を育てている平川美月さん。日本でこうした育て方をする人は、まだまれだ。なぜこうした育て方をするに至ったのか? 今回はその後編。共同養育に至るまでの経緯を聞いた。

前編はこちら

車に監禁されて離婚届にサイン

――ひとりで家を出たことで、お子さんと会えなくなったんですか?


 引き離されることは、全然頭になかったです。長野県駒ヶ根市にある元夫・Bの実家を出るときに、「1週間以内にアパートを決めるから、それまで娘を見ててほしい」と言ったら、「いいよ」って約束してもらえたので。

――具体的に、その1週間は、どのように娘さんと関わっていたんですか

 午後4時ごろ、保育園にお迎えに行って、Bと義母の家に立ち寄っていました。2人が外出しているその時間に、着替えとか荷物とか、連絡帳の書き込みとか。翌日の保育園の準備をしたり、娘と夕飯を一緒に食べたりした後、家を出ていました。

――プレハブを出てアパートに移り住んでからは?

 保育園が終わると娘をアパートに連れてきて、一緒に過ごした後、Bの実家に返していました。週の半分は、夕食後に、あとの半分は夜になる前に返していました。私が夜の仕事をする間はBの実家に預けるという、共同養育をやっていたんです。


――そのまま、そのやり方を維持することにはならなかったのですか?

 ならなかったですね。というのも、アパートを借りて1週間後、Bから連絡があったんです。「書いてほしいものがあるから、印鑑持ってきて」って言われて、指定のコンビニの駐車場に行ったら、車の中に閉じ込められて、「離婚届に署名・捺印するまでは絶対帰さない」とBに言われたんです。

――それ、完全にトラップですね。

 書類を確認すると、親権者の欄にはBの名前がすでに記してありました。それで、「せめて1日考えさせて」って答えました。すると、「絶対にダメだ」って。

――それで結局、離婚届に署名・捺印はしたんですか?

 最後は私が折れて、サインしました。ただ、その前から「一緒に育てていく」という方針をお互い確認していたので、「親権が向こうでも影響はないかな」って思ってましたし、そのとき、一刻も早く監禁状態から脱したかったんです。

子どもを連れて、逃げました。