女官と皇后VS侍従長のバトル開戦!? 皇室の難題「おつとめ」めぐり、宮中が大荒れのワケ
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
前回まで――昭和時代、宮中では「魔女狩り」が行われていた。「魔女」として追放されたのはひとりの女官。そのウラで手を引いていたのは、マスコミに持て囃された人気者、侍従長・入江相政氏でした。この入江氏によって、一人の女官が「魔女」と呼ばれ、宮中を追い出されることになるのですが、その結末を呼ぶことになった両者の“バトル”とは……?
――昭和天皇は、歴代天皇の中でもナンバーワンといわれるほど、宮中祭祀にご熱心だったのですね。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 実は、昭和天皇が祭祀にひときわご熱心になったのは、敗戦してからなのです。それまでは、祭祀に必須の長時間の正座ができず、母宮にあたる後の貞明皇太后から注意をお受けになったことも。
一方、その貞明皇太后が祭祀に熱心になったのは、関東大震災が起きたり、大正天皇が若くして脳の病で崩御なさった後からのことです。ここから何か、見えてくることはありませんか?
――何か、凶事や不祥事があると、それを皇室の祈りでカバーしなくてはならないというようなことですか?
堀江 そうなんです。すべてに対する責任を、皇室の方々は身を持ってお感じになりがちで、その重責は計り知れないこともわかります。
令和時代の皇室も、平成の時代よりは、宮中祭祀に距離があるという報告を読んだことがあります。これは、明治以降、何回目かの皇室のチャレンジでもあるのです。とにかく宮中祭祀は非常に難しい問題なのです。
――その難題である祭祀が、魔女狩りにつながっていく……と。
堀江 昭和時代、皇后様のお気に入りでありながら、一部からは魔女と呼ばれた女官・今城誼子さんが、宿敵である入江侍従長と直接バトルした記録はありません。それを今城さんが避けていたような気配はあります。
今城さんは、自分の主張――「祭祀には絶対に手を抜いてはならない」を通すために、当時、すでに体調不良だった皇后様を説き伏せるのです。そして、自分の主張を皇后様の主張として、入江侍従長に「祭祀をやれ」などとぶつけてくるわけです。
宮中はタテ社会ですから、皇后様の意向となれば入江氏も従順にならざるを得ない。そういう戦い方で、自分の意見を通そうとしてくる今城さんが、入江氏にとっては不愉快だったのかもしれません。
――直接は言わない、言えない、というのが宮中っぽいですね。
堀江 侍従長のほうが、ひとりの女官よりも立場は上ですしね。一方、皇后さまも侍従長ではなく、天皇陛下と直接に祭祀については対話なさったらどうか、と読者は思うかもしれません。
しかしそれは、われわれ民間人の感覚。とくに祭祀という天皇のきわめて重要な“おつとめ”に関して、皇后が何か天皇にアドバイスをする、もしくはお願いするというのは絶対NGの越権行為なのです。
そんな中、昭和45年(1970年)の5月30日には、皇后さまと入江侍従長の間に激しいバトルがあったそうです。原因は、年に2回に減らされた、宮中祭祀の一つである「旬祭」を、毎月に戻してほしいという(今城さんの意向を受けた)皇后様に対し、入江侍従長が反論したこと。