息子と会えないのは、魂を引き裂かれたようにつらい――嫌われても調停を続けて、母親の存在を示す
――引き離すにあたって、学校が変わるといったこともあったんですか? 中学には入学したばかりですよね。
越境通学するようになりました。息子に指一本でも触れさせないよう、彼や義父が学校の中まで送り迎えするようにしたんです。そんな異例なことを承諾してもらうため、彼と義父母が、そろって学校に挨拶に行ったそうです。彼の出勤時間から逆算すると、息子は通学時間の1時間前以上前に通学していたはず。
――「遠いから、元の家がいい」と息子さんは言わなかったんですかね?
それはわからない。でも、少なくとも1学期の間は、息子とやりとりできていました。私はPTAに入って、月に1〜2回の学校公開(授業参観など)には必ず参加していたし、行けば毎回会っていた。そのとき、息子は私のことを拒絶はしなかったんです。逆に父親が見ていないのを確認して私に話しかけてきました。学校自体は、この件に関わりたくないようでしたけど。
――離婚調停の申立書が4月に届き、夫と息子さんが5月に家を出ていったということですけど、その後の流れというのは?
申し立てられた離婚調停に出席する前に、上申書を100枚ぐらい書いて出したんです。これこれこういうひどい目に遭って……という感じで。息子を取り戻すために、弁護士を立てて、面会交流・円満調停の申し立て、監護者指定と子の引渡しと、引渡し前の保全処分という3点セットを、6月末ごろに申し立てました。
――それ以降の、息子さんとの交流はどうなってるんですか?
引き離されてしばらくは、一緒に暮らしてはいないし、学校以外では会えなかったけど、関係は良好でした。7月に双方代理人がついて、調停やその前の保全、審判など、改めて家裁で話が始まり、正式な面会交流みたいな感じで会うようになると違ってきました。その年の夏休み中の8月、元夫の代理人弁護士の事務所で、第1回の面会交流が行われました。その場には、息子と私、双方の弁護士、そして夫がいました。
私が一方的に話しかけて、若干息子が反応するみたいな感じでした。百面相したりしたら、息子は我慢できなくてプッと笑う。そんな感じで感情のやりとりができたんです。面会交流が終わって私が事務所を出た後、息子が号泣したそうです。すると、後日元夫側の弁護士が「お母さんが嫌だったから号泣した」という文面を含んだ書面を送ってきたんです。
こっちは「子どもとの良好な関係の証拠」を書面で出す。でも、そうすると次に会うときはいろいろ制限され、さらにその次の面会では、子どもはまったくしゃべらなくなり……。「子どもと私の関係は壊れていません」と主張すればするほど、関係を壊されていったんです。親権や監護権は、引き離された後の「監護の継続性」を理由に、裁判所から突っぱねられました。そうして、子どもを取り戻すことができなかったんです。