老いゆく親と、どう向き合う?

老人ホームの面会禁止で「罪悪感から解放された」――義父母の介護と障害のある娘、新型コロナが変えた“距離”

2020/08/16 18:00
坂口鈴香(ライター)

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 新型コロナウイルス感染リスクを減らすために、人との距離を取ることを求められるようになった。それをきっかけに親や子どもとの関係を考えるようになった人は少なくない。

mihomiho7さんによる写真ACからの写真

義父母を施設に預けた罪悪感

 井波千明さん(仮名・55)は、この新型コロナウイルスの影響で有料老人ホームにいる義父母と面会ができなくなった。以前、「認知症の夫に“熟年離婚”つきつけたワケ……」「高齢者住宅で女たちの大ゲンカ勃発!」で登場してくれた井波さんだが、義父母の様子を気にかける一方で、こんな思いも打ち明けてくれた。

「義父母を施設に預けてしまったという罪悪感がずっとあり、せめて会いに行って話し相手にならないといけないと思っていました。でも時間を決めて、面会の時間をつくることまではしていなかったので、『もっと行かないといけない』と、また罪悪感におそわれていたのですが、このコロナで面会禁止となり、私は後者の罪悪感から解放されたんです」


 「これは私の心の闇ですが」と静かに笑う。

 義父母とは会えないが、障害のある娘、圭さん(仮名・22)と一緒に過ごす時間は増えた。

 井波さんは、圭さんを連れて義父母のいるホームに面会に行ったとき、義母の“天敵”女性に、「あれが、あの人の孫よ」と陰口をたたかれたことがある。それからは、義父母にイヤな思いをさせまいと、圭さんをホームに連れていくのをやめた。でも、それは圭さんへの愛情とはまったく関係ない。障害のある子がいることはかわいそうなことではないと言い切る。

「圭が生まれる前までは、障害を持つって、人生の崖っぷちから落ちるくらいに思っていたんですが、いざ障害児の母になってみると、『地球は丸かったんだ。海の向こうにもずーっと土地は続いている』というような気持ちが生まれたんです。うまく言えないのですが、人生はどこまでも普通に続いているんだな、と」

 この感覚は、人に伝えるには難しいし、ややこしい表現だなと思っていたという井波さん。だからあえてそんな思いを人に説明することはしてこなかった。


「それが先日、若くして認知症になった方が、自分の病気のことを『不便だけど、不幸じゃない』とおっしゃっているのを耳にしたんです。その瞬間、それそれ! まさに私の『海の向こうにも土地は続いている』という感覚だとストンと胸に落ちたんです。不幸じゃないというより、むしろ圭を生んだことで、今まで知らなかった幸せをたくさん知って、豊かになったというんでしょうか。皆さんには信じられないかもしれないけれど、圭が生まれて、私の幸福感はアップしたんです。この幸福感、これまで人にどう伝えたらいいんだろうと、ずっと模索していましたが、ようやくしっくりくる表現に出会ったと思いました」

  若くして認知症になることを「不幸じゃない」と言い切ることができるのもすごいことだと思うが、正直なところその感覚は想像がつかない。でも井波さんの言葉を聞くと、なんとなくではあるが、理解できる気がしてきた。

「今まで、『こちらが良い。こちらはダメ』と優劣をつけていたことは、まったく無意味だとわかりました。たまに甘いものを食べたときに感じる喜びみたいな幸せが、実はたくさんあるということに気づいた、というか……」

 これまで自分でつくっていた“柵”から解放されたような気持ち、というのが井波さんの幸福感なのだそうだ。

「障害のある子がいて大変だろう」と思うのは、“海の向こう”を知らない人間の偏った見方に過ぎない。相模原障害者施設殺傷事件で、被害にあった方の親の言葉のいくつかが、井波さんの言葉で腑に落ちた気がした。

相模原障害者殺傷事件