サイゾーウーマンコラム日本のアウト皇室史女官と皇后様とのバトルに決着が? コラム 【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!! 天皇に口説かれた女官が“本音”暴露! 皇后様に上から目線で問題発言!?【日本のアウト皇室史】 2020/03/28 17:00 堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト) コラム日本のアウト皇室史 貞明皇后にもズバズバと苦言を呈していく山川三千子 皇室に嫁入りした女性皇族は、世間からも厳しい目で見られることが多々ある(getty Imagesより) ――夫の非は妻の非というアレですか? 堀江 そうですねぇ。現代でも卑劣な皇室バッシングって、皇室に嫁入りした立場の女性皇族に向かって浴びせられることが大半じゃないですか? 男性皇族は叩きにくいのでしょう。なんだかあれと構造は似ている気がします。 大正天皇の崩御後、貞明皇后は皇太后となります。そして皇太后は崩御なさるまでの長い期間をずっと喪服で過ごされました。しかし皇太后が「黒衣の人」となった理由は、亡き大正天皇に対して「ざんげのお心持ち」が皇太后の中にあったからではないかと山川三千子は言うのです。またしても、大した上から目線ですよね(笑)。貞明皇后は山川三千子よりも8歳ほど年上です。すべての意味で目上の皇后様に対してもズバズバと意見を言ってしまうんだから、ほんとすごいですよね。 山川はその後も「天皇があられたればこそ、皇后に(貞明皇后は)なられたのですから」などと言ってのけ、ほかにも「お内儀では(=私生活では)あまり何事も(大正天皇の)思召のようにならず、時には御不満のご様子などもあるとやら(略)いとど御同情申し上げてはおりましたが、こんなにお若くて崩御になろうとは夢にも思いませんでした(山川三千子『女官』)」なんてことも。これを要約すれば、皇后は天皇を自由にさせてあげなかった。何の欲求不満かは知りませんが(笑)、天皇をくすぶらせていた。そんな態度は妻としてよかったのか? ということでしょう。 御自分を生んだ女性が皇后陛下ではなかった事実にショックを受けた大正天皇は、自発的に側室を持とうとしなかったと一般的には言われます。ただ、史実でそのお姿を追う限り、大正天皇は山川三千子のみならず多くの女官にフレンドリーに接し、貞明皇后を嫉妬させつづけてもいました。一方で、それでも側室的存在が最後まで出現しなかったのは、貞明皇后が夫の女性関係を厳しく監視し続けていた「成果」ともいえるでしょう。ただ監視については、明らかに行き過ぎであって、皇后としても越権行為だったのではないか……と山川三千子は考え、『女官』に記しているようです。 次のページ 女の世界を赤裸々に書いた『女官』は問題の書? 前のページ123次のページ 楽天 女官 明治宮中出仕の記 関連記事 明治天皇の”スペオキ”女官は「口ベタなとこが逆にいい」!? 女の嫉妬渦巻く宮廷の側室【日本のアウト皇室史】天皇に仕える女官は “プロ彼女”? 「お世継ぎ」「添い寝」と女の争い【日本のアウト皇室史】皇室の“知られざる”お正月事情――天皇陛下は大忙しでも女官は「朝から日本酒」!?【日本のアウト皇室史】職人技光る“皇室愛用ブランド”が廃業――「デパート」「通販」の台頭で消えゆく伝統【日本のアウト皇室史】「宮内庁御用達」は怪しい制度!? “皇室ブランド”にあやかるアウトな商売とは【日本のアウト皇室史】