【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

天皇に口説かれた女官が“本音”暴露! 皇后様に上から目線で問題発言!?【日本のアウト皇室史】

2020/03/28 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
貞明皇后はピアノを弾き、自分の女官たちに西洋風のダンスを学ばせていた。山川三千子はそんな皇后の行いさえ、批判的な目で見ていた(getty Imagesより)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

――前回までは、大正天皇にグイグイ迫られていた女官・山川三千子についてうかがってきましたが、そんな彼女もついに女官を退官する時がきたのですね。

堀江宏樹(以下、堀江) 大正3年(1914年)のことです。退官の挨拶を聞いた時、大正天皇の皇后である貞明皇后はうれしそうで「大嫌い」と公言していた彼女にもやさしかったそうです(笑)。

――ライバルが減った! という感覚でしょうか。

堀江 はっきりいうとそうですね。ご自分の深い嫉妬心に悩んでおられたのは事実ですから。大正天皇の女官たちに対する“無邪気”な態度に翻弄された皇后様ご本人が一番お苦しかったとは思いますが……山川三千子も、「二度と女官になることはない!」と言って、宮中を去っています。ところがその後も、大正天皇は、山川三千子の結婚式の様子を、山川の実弟に頼んで報告させようとしたり、それを知った山川が気味悪がったり……と、ひと悶着がありました。しかし、大正15年(1926年)、つまり彼女が宮中を退いてかなりたった後のことですが、大正天皇が亡くなられたと知ると山川三千子は「ご不幸な陛下」に「ご同情もうしあげる」と、涙をさめざめと流しているんですね。


――「ご同情」という言い方がなんとも……。

堀江 大した上から目線ですよね(笑)。山川三千子は貞明皇后からも「大嫌い」な「生意気な娘」と評されていましたし、最後までわだかまりがあったのかもしれません。

 こうして山川三千子は、大正天皇から「写真をくれ」と言われたり、天皇の彼女への好意にピンときた皇后から激しく嫉妬されるような時間を過ごしたわけです。が、自分が別の男性との幸せな結婚生活を送るようになると、結局は大正天皇が「ご不幸な方だから、これくらいのことはお許ししてさしあげなきゃ」という思いのほうが強かったのかもしれませんね。大正天皇が「ご不幸」だと彼女が考える理由として、天皇が次のような発言をしたということが山川三千子の回想録『女官』には出てきます。原文ママで引用しますと、

「わたしを生んだのは早蕨(=柳原愛子典侍)か、おたた様(=昭憲皇后)から生まれた大清(おおぎよ)だと思っていたのに」

 歴史好きには有名な発言です。大正天皇は明治天皇と昭憲皇后を非常に尊敬していたので、「母と慕ってきた皇后陛下ではなく、自分が側室から生まれた子だったという事実に大正天皇は強いショックを受けた」と今日では解説されますね。しかし、より「オリジナル」に近いであろう言葉遣いで見ると、注目すべきポイントがやはり別にあるな、と。


 気になるのは、「自分は大清ではなかった」という部分です。大清とは天皇家、皇族の方々のこと。つまり、自分がそれ以外の臣下の腹から生まれたのが残念! というようなことを、いくら戦前の身分社会にせよ、公言してはばからない大正天皇に山川三千子は「違和感」を抱いたようだし、彼女と同じ感想を持つ女官が、ほかにもいたということなんですね

 たしかに大正天皇は自分の「出生の秘密」に深く傷ついたはずです。それを知らなかったのは、ご自身だけだった、つまり他人には公然の秘密だったという事実も含めて。しかし、山川三千子が言いたいのは、はっきりとそれを天皇(もしくは皇太子として)が口にしてしまうことは、「軽率だったのではないか?」ということでしょうね。ご自分では子どもを成すことができなかった昭憲皇后を深く傷つけ、大正天皇の生みの母である早蕨典侍こと、柳原愛子典侍にも、おそらくこの発言によってつらい思いをさせてしまっていますしね。もちろん、明治天皇だってお悲しかったはず。ご自分がショックをいくら受けたところで、こういうことはデリケートな問題なのだから、そこは黙って耐えるべきであった、声にしたところで、誰も幸せにはなれないのに……と山川三千子は言いたかったのではないでしょうか。

 山川三千子の大正天皇への「違和感」は、そのお人柄が天皇という重責を担うべき方にしては「軽すぎる」というところに尽きるようです。それこそ前にもお話ししたように、山川三千子にとって大正天皇は「人間的すぎた」のでしょう。しかし山川三千子は、大正天皇よりも貞明皇后に厳しい目を向けていますね。

女官 明治宮中出仕の記