舞台俳優への暴走するガチ恋と、整形後のリアルな日々――生々しい女の欲望を描いた2作を紹介
『りさ子~』に負けず劣らず、ストレートなタイトルが付けられた『自分の顔が大キライ』は、タイトル通り、幼い頃から容姿に強いコンプレックスがあった著者が、整形手術を受け、美しくなり、大きく変わった半生を振り返ったコミックエッセイだ。
10代・20代で自分の顔に満足している、という女性はほんの一部かもしれない。どんなにかわいくても、もっとかわいくなりたいと思っているし、容姿に自信が持てないなら、なおさら不満とコンプレックスだらけだ。かわいい女性をひいきする上司を見たり、見知らぬ男に「ブス」と気まぐれに悪意を投げつけられたりしたときの、「私がかわいければ、こんなに悲しい思いをすることはないのに」という感情は、多少の差はあれど、容姿にコンプレックスがある女性なら誰でも味わうものだろう。コンプレックスを克服しようと、著者は「整形モニター」という手段を使って、エラを削り、二重になり、目頭を切開し、鼻筋を整えるという大がかりな整形手術を受け、美人に生まれ変わる。
実際に手術を受けたときの経過や痛み、事後のケアについても回想されているが、本作で大きく割かれているのは「整形で美しくなった女性の、人生のその後」だ。
21歳という若さで整形し、ハーフと間違えられるほど美しくなった著者は、男女問わず優しくされ、褒められ、バイト先や通りすがりの男性にも「かわいい」と声を掛けられるようになる。明らかな周囲の変化がうれしい半面、声を掛けてくる男性に「外見で真っ先に寄ってくる人は 逆にいえば私の外見を罵倒した人によく似ている気がする」と複雑な思いを抱き、うまく接することができない。さらに、美しさに嫉妬し嫌がらせをする女性も現れ、整形前より人付き合いに不器用になっていく。次第に、自分よりさらに美しい女性だけでなく、美しくなくてもコミュニケーション力の高い女性を羨望するようになってしまう。
不特定多数にモテたり、容姿を武器にチャンスを広げたい時、整形はかなり有効な手段になるだろう。しかし著者は、自分に自信を持ち、真剣な恋愛や対等な人付き合いをしたいだけだったことに気づく。そこに美しい容姿は、(美しいに越したことはないが)必須ではない。むしろ必要なのは、コミュニケーション力だ。仕事や読書を通してゆっくりと自信をつけた著者は、信頼できる男性に出会い、結婚して穏やかな日々を過ごすようになる。
「整形でかわいくなりさえすれば、人生がうまくいく」と思っている人にとって、本書で描かれる「整形はスタートラインにすぎない」「誰にでも愛される雰囲気をまとっていたり、ノリが良かったりと、美貌では太刀打ちできない魅力を持った女性がいる」という現実は、耳に痛いものだろう。ただ、「結局、中身が大事だ」という彼女の言葉も、整形という行動を経た上での結論であり、「整形前の私が聞いたらきれいごとにしか聞こえなかっただろう」「前の顔には戻りたくない」という言葉の端々には、“私にとって、整形は正解だった”という潔い自己肯定が垣間見える。整形する道も、整形しない道も、どちらにしろ自分で選んだ道を、“正解”にしていくしかないのかもしれない。
(保田夏子)