精神科医・和田秀樹先生インタビュー

かつてのワルが“立派な人”に!? 海老蔵への「世間の視線」に違和感を覚えるワケ

2017/08/02 15:30
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暴行事件の後、赤い眼で記者会見(2010年12月7日)

 かつては暴力事件や隠し子騒動など“ワル”な一面でマスコミを騒がせた市川海老蔵。しかし、最愛の妻・小林麻央さんとの結婚や、彼女の闘病生活と喪失を経て、すっかり“立派な人”に。あらゆる心の内を片っ端から吐露する海老蔵のブログは、依然として注目を浴び続けている。しかし、このような社会現象に必ずしも同調できない人もいるのではないだろうか? では、その違和感とは一体どこから来るのか? 『この国の息苦しさの正体 感情支配社会を生き抜く』(朝日新聞出版)の著者であり、精神科医として多数の著書を手がける和田秀樹先生に問うてみた。

■自身の人間性を疑われそうなことは、率直に言いにくい

 まず、和田先生によると、嫉妬には“ジェラシー”と“エンビー”の2種類あるという。自分より優れている人を前に「負けてたまるか」と自分自身を奮い立たせるプラスの嫉妬が“ジェラシー”。一方、その人をおとしめようと図ったり、誰かに容赦なく攻撃される姿を見て快感を覚えるなど、マイナスの嫉妬が“エンビー”だ。

 それを踏まえて、海老蔵に向けられている違和感は、次の2つの心理に基づくという。

「ひとつは“エンビー”を抱く人による違和感です。かつて隠し子報道などもあったように、海老蔵氏は過去にさんざん遊んでいた。また、おそらく今後も、さまざまな人からもてはやされることでしょう。海老蔵氏本人が何か特別にいいことをしたわけでもなく、ましてや真に改心したかもわからない。それなのに麻央さんの一件で同情される対象になることに、不快感を覚えるのです。


 もうひとつは“エンビー”を抱かない人による違和感です。もともと海老蔵氏を嫌っていた人が『遊び人だったくせに、今頃いい顔しやがって』と言いづらくなっている。自身の道徳観に反した同調圧力に対するストレスです。“空気を読む”ことが日本では美徳とされますから、自身の人間性を疑われそうなことは率直に言いにくい。そんな違和感は、比較的“正常”なものだと私は考えています」

 日本人には、かつて不良だった人が逆境を越えて“いい人”になる成長物語を好む傾向があるという。

「古くは『義経記』の書かれた室町時代から“負けてる方の肩を持つ”気質が日本人の国民性にあります。学歴詐称していた田中角栄や、暗黒時代の阪神タイガースもしかり。負けの美学が、日本人のメンタリティに根づいているのです。

 また真逆のケースで、“優等生からの転落”も大きく取り上げられる。最近では政治家・豊田真由子氏なんて最たるものですね。でも彼女にしても、優等生であることが悪いのではない。彼女が感情のコントロールをできなかったことに、深刻な問題があります。

 しかし、日本人は批判するとき、不良や優等生といった本人の経歴に絡める傾向があますね。結局のところ、多くの日本人には反優等生感情とともに、自身の学生時代には先生に反抗できなかったためか、不良に対する憧れがある。そんな人々が不良の成長を応援する一方で、優等生の失脚を『ざまあみろ』と批判するのです」


この国の息苦しさの正体 感情支配社会を生き抜く (朝日新書)