[連載]悪女の履歴書

17歳年下恋人と交際の果て――46歳の旧華族令嬢が殺めた、「日商岩井社員射殺事件」

2016/08/14 19:00

「いい歳なんだから」「メンスはまだあるの?」「若い男を追いかけ回して」

 酒に酔った上、あまりにしつこい慎太郎に久美子も次第に感情的になる。恋人の幹人はほとんど黙ったままだ。挑発され感情的になった久美子は、部屋に保管されていた愛用の18.5口径の散弾銃、レミントンモデル11−44を持ち出した。それに対しても嘲笑う慎太郎。その瞬間、久美子が手にした散弾銃から激しい銃声が響いた。

目の前の慎太郎は額を打ち抜かれ崩れ落ちた。後に即死と判明した慎太郎だが、その様子を見た幹人が度肝を抜かれて、猟銃を奪った上で通報に走り、その間、久美子は衝動的にガスレンジのホースを口にくわえ自殺を図っていた。

 一命を取り留めた久美子だったが、この事件は世間やマスコミを驚愕させた。17歳も年下の恋人を持つ46歳の独身女性が、別れ話の仲介をした恋人の先輩を銃殺した。しかし人々が注目したのはそれだけではなかった。それが久美子の華麗なる“出自”だ。

 久美子は、元子爵の令嬢という元華族だったのだ。


◎結婚と離婚、経営者として活躍するも
 久美子は昭和2年ある子爵の長女として産まれた。宮坂小路家は古くから和琴の師範家で、宮内庁雅楽部長を務めたという家系。祖父も父も貴族院議員を務めた。母親も華族の血を引く名門での由緒ある一族出身だ。そんな名家に生まれた久美子は学習院大学に進むが、学生時代は勉強に熱心というより社交家で、ワガママ、時には先生に反抗するような“学習院らしからぬ”奔放な女性だった。

 華族制度は戦後の昭和22年に廃止され、その多くが地位や財産を没収されて没落していったが、同年、久美子は現在でも大手食品会社として知られる企業の、創業者の長男と結婚。昭和24年には双子の男子を出産する。だが、本来の奔放さからか嫁姑関係がうまくいかず、また夫の海外遊学中に別の男性との浮気騒動もあったといわれ、昭和26年に離婚した。この際、久美子は追われるように婚家を出され、2人の息子は夫と姑の手で育てられることになったという。

 こうして独身に戻った久美子だが、銀座のホステスを転々としたり、元夫の関係でPR会社を設立するなどするが、その後会員制の高級雀荘を経営し、事件の2年ほど前に知り合ったのが幹人だった。2人は一時同棲に近い生活を起こったが、しかし幹人の家柄も大手企業の常務まで務めた上流家庭。時間がたつにつれ、その交際は行き詰まり、また幹人にも別の結婚話が浮上していた。そんな中での事件だった。

 華族制度が廃止されて27年たってから起こった、元華族令嬢の殺人事件。この事件が世間の衆目を集めたのはある意味当然だったのかもしれない。というのも華族の不祥事は戦前の日本社会にあって一種のワイドショー的娯楽の意味合いがあったからだ。

(後編につづく)


最終更新:2019/05/21 18:46
『元華族たちの戦後史 没落、流転、激動の半世紀 (講談社 α文庫)』
ここで男が嘲笑ったのは女という生き物全員よ