サイゾーウーマンカルチャーインタビュー大正昭和のモガから学ぶ“はみ出す強さ” カルチャー 『モダンガールのスヽメ』淺井カヨ氏インタビュー 大正昭和の「不良で享楽的な最先端の女たち」――モダンガールから学ぶべき“はみ出す強さ” 2016/04/24 16:00 女子カルチャーインタビュー 『モダンガールのスヽメ』(原書房) ――ファッション誌では、レトロ風や大正ロマン風の服をよく見かけますが、そういうファッションをどう思いますか? 淺井 空想でそれっぽい格好をするのは自由だと思いますが、あたかも史実のように発信してしまうと、知らない人はそれを本物だと思ってしまいます。まったく興味のない人にとっては、どうしてそんなにこだわるのかと思われるかもしれないのですが、私はとにかく“モガを取り巻く文化”自体が好きなので、こうした厳密さを持ってしまうんです。 ■“山ガール”もモダンガール? ――淺井さんのモガへの強い気持ちがよく伝わります。今では「当時の最先端」といったイメージが浸透したモガですが、彼女たちが生まれた時代的背景と、また社会からどのような見られ方をしていたのか教えてください。 淺井 そもそもモガが登場するより前は、平塚雷鳥などが「新しい女性」を掲げ、和服を脱いで洋装になるなど、女性たちが強く社会に反抗していた時代がありました。その後に登場したモガは、そうした精神をすでに持っていた女性たちだったからこそ、文化として発展したのだろうと論じられています。また、大正12年に関東大震災があり、今とは比べものにならないくらいのスピードで都市が復興していった。海外からの流行や新しい風俗がどんどん入ってきて、ありとあらゆる物や人々の価値観が変化していきました。それ以前に、新しい女性像がすでに現れていたことと、ものすごい密度を持って社会全体が高揚していた空気が、モガの誕生に大きく寄与していると思います。 “モダンガール”という名前は、イギリスの若い女性を揶揄した表現として新聞に出てきたのが最初です。それが徐々に、一部の日本の女性を指す言葉としても定着していきました。モガに対するイメージは本当に人それぞれで、不良的で享楽的、突飛な女性として懸念していた人もいたし、先端を追いかける女性としてよく思っていた人もいました。大正末期と昭和初期でも意味合いが微妙に違うと思いますし、論じる人によっても違う。外見やファッションの特徴は言いやすいんですが、モガが社会の中でどのような存在だったかというのは簡単には言い表せないんですね。 ――モガではない女性たちは、モガをどのような存在だと受け止めていたのでしょう。 淺井 ある男性に「あなたはモダンガールだね」と言われたのが悪口に聞こえたという当時の女性の文章がありました。また、100歳だった女性に数年前に取材した時、いくら「モダンガールでしたか?」と聞いても「いや、不良娘だった」と答えるんです。“モダンガール”という言葉を受容したがらないんですね。当時を生きていないので、そのニュアンスを確定することは難しいのですが、やはり良く思う人もいれば良く思わない人もいたということでしょう。 ――とすると、当時のモダンガールという言葉の定義も曖昧だったかもしれませんね。 淺井 面白いのが、数年前に100歳くらいのおじいさんに話を聞いた際、「登山をした時に、モダンガールがいた」と言っていたんです。女性たちの様相を聞くと、今で言う山ガール(笑)。「見たことのない活発な女性」そして「とにかく家庭におさまるようなイメージではない女性」は“モダンガール”と表現される可能性はありますよね。 前のページ123次のページ Amazon 『モダンガールのスヽメ』 関連記事 「ジューシィメイク」「ロースキンメイク」トレンドの“顔”が映し出す、女の願望と社会プリクラ誕生20周年! 女子高生の「なりたい自分になる」は、どう実現されてきたのか?「服なんてそんなにいらない」若者たち、原宿ストリートファッションは本当に衰退したのか?「あした、なに着て生きていく?」キャッチコピーが示す、女子の“気分”とファッションの“空気”ガングロギャル×女子大生が語る、「モテ」と「偏見」と「将来」――“同世代女子”座談会