インタビュー

“消えたヘキサゴンファミリー”は今――元新選組リアン・森公平が語る「紳助引退の挫折」で得たモノ

2015/12/05 15:00
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デビューシングルの「男道」/アール・アンド・シー

――最盛期はどれくらい忙しかったですか?

 僕は新選組リアンのほかに、サーターアンダギー(山田親太朗、松岡卓弥とのユニット。13年解散)も掛け持ちしていたので、リリースが重なると2週間以上も地方営業が続くような状態でした。その間にテレビ収録が入ってくる感じですね。

――相当羽振りもよくなったのでは?

 ぶっちゃけ、デビュー後の3年間の月給は5万円でした。もちろん食費や生活費、交通費なんかは出してもらっていたので、お金に困るということはありませんでしたが、デビューしてから6年間、お金を持っていた時期は一度もないですね。

――そうなんですか? 普通、デビュー直後に売れると「天狗になる」というのが芸能界のお決まりですが……。


 僕らはまったくなかったですね。服も、ファンの方からプレゼントしてもらったものを着ていて、とても助かっていました。僕はグループを掛け持ちしていたので、プレゼントも2倍でしたし(笑)。

――ヘキサゴンファミリーで一番親交が深いのは誰ですか?

 山田親太朗さんですね。先日も飲みに行ったんですが、全額おごってくれて。新選組リアンが解散した時も親太朗さんに相談したんですが、「辞めたところで、やりたいことなんてないんだろ?」と言ってくれました。テレビでは弟キャラに見える親太朗さんですが、僕にとっては完全に兄貴分です。

 ヘキサゴンファミリーには、派閥とかグループもなく、一致団結したチームでした。品川庄司の品川祐さんや元木大介さんにご馳走になったこともありましたね。ただ、僕は一番若くて芸歴も浅かったんで、ファミリーの方々とはちょっと距離がありましたね。僕は最後までみんなの輪に入れなかったです(笑)。

――日テレデビューのグループがフジの番組に出るのは異例だと思いますが……。


 個人的に「大丈夫なの?」という思いもありましたが、これも全ては紳助さんのおかげなんです。フジの楽屋で局幹部の方々との打ち合わせ中、紳助さんが「『ヘキサゴン』にこの子出したらエエんちゃう?」とわざと大きい声で言ってくれて。周りの方たちも「紳助さんが言うなら間違いないね」となりました。あの頃紳助さんは、本当に全ての出演番組で、いちプロデューサーとしても動いていましたから。

『男道』