インタビュー

“消えたヘキサゴンファミリー”は今――元新選組リアン・森公平が語る「紳助引退の挫折」で得たモノ

2015/12/05 15:00
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現在27歳、グッと渋みが増しました

 “カシアス島田”こと島田紳助がプロデュースした伝説のバラエティ『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)が、放送開始から10年を迎えた。“おバカタレント”という言葉と文化を生み出し、出演陣である“ヘキサゴンファミリー”は軒並みブレーク。2008年には番組で誕生した羞恥心とPaboが『NHK紅白歌合戦』に出場するなど、お祭り騒ぎのような状態だった。番組は11年、紳助の芸能界引退とともに幕引きとなったが、ファミリーの一員だった木下優樹菜はその後ママタレントして活躍を続け、上地雄輔はタレント活動と並行し、ソロアーティストとして『紅白』にも出場した。

 しかし一方で、スタイリスト男性との結婚後はとんと姿を見せなくなった神戸蘭子、事務所とのトラブルにより番組を途中降板となった野久保直樹など、『ヘキサゴン』終焉とともに“消えた”タレントも数多く存在する。そして『ヘキサゴン』とともにスターダムにのし上がり、紳助引退と同時に行く末を見失ってしまったのが、新選組リアンだ。結成こそ日本テレビの『人生が変わる1分間の深イイ話』の企画からだったが、その後はフジの『ヘキサゴン』にも出演。そのシンデレラ・ストーリーを、元メンバーの森公平が振り返った。

――森さんは09年、『深イイ話』で行われた、京都市を中心とする地域密着型アイドルの開発プロジェクトに合格し、芸能界デビューを果たしました。

森公平氏(以下、森) オーディションに合格した日から、人生の全てが変わりました。オーディションの時、ホストクラブでバイトしていたことを正直に話したら、紳助さんに「お前、隠さないなんてエライな」と言われて合格したんですが、裏話をすると、実は僕、書類審査で落とされていたそうなんです。ところが紳助さんの自宅に置かれていた書類を娘さんが見て、「オトン、この子は採らなアカンで」と言ってくれた……と聞きました。

 合格の次の日には、いきなり東京のスタジオで収録が行われたんですが、そこにはテレビで見たことある人たちがたくさんいる……という。芸能界にまったく興味のなかったいち大学生が、街を歩いていると「森さんですよね?」と声を掛けられるんです。「俺、芸能人だ!」と驚きました。生活も一変。一言で言うと、自由がなくなりました。当時の住まいは、当時の所属事務所の社長の自宅で、メンバー5人で共同生活を送っていたんです。たまの休みの日に遊びに行くと、社長が「遊んでる場合か!」と怒り出すので、自由な時間はまったくありませんでした。


――当時、一番印象に残っている出来事は何ですか?

 新選組リアンのデビューイベントですね。京都の教王護国寺でコンサートを行ったんですが、まったく素人だった僕たちのために、8,000人ものファンの方が集まったんです。あそこで「人生が変わった」という実感が湧きました。

『男道』