サイゾーウーマンカルチャーインタビュー『笑う介護。』20代から親の介護の実態 カルチャー 『笑う介護。』著者インタビュー 20代で親の介護、30代で育児と介護―『笑う介護。』岡崎杏里氏「自分の人生をあきらめない」 2015/11/08 19:00 インタビュー 『笑う介護。』(成美堂出版) まだ「ヤングケアラー(若年介護者)」という言葉もなかった頃、23歳からの介護体験を『笑う介護。』(成美堂出版)で発表した岡崎杏里さん。父親が53歳で脳血管性認知症となり、その後父の介護を担っていた母親が卵巣がんで闘病生活を送ることに。会社勤めをしながら、看病と介護にと奮闘するうち、自身も心のバランスを崩してしまう……というとても“笑えない”状況を、笑いのパワーで前向きに変えた体験記だ。それから18年。岡崎さんは結婚、出産をして、育児と介護を担う「ダブルケアラー」になっていた。今どんな生活を送っているのか、岡崎杏里さんにお話を伺った。 ――現在のお父様の状態はいかがですか。 岡崎杏里さん(以下、岡崎) 53歳のときに脳出血で倒れ、脳血管性認知症を発症して18年、父は70歳になりました。アルツハイマー型認知症とは違い、脳血管性認知症は徐々に状態が悪くなるわけではないので、最近は比較的落ち着いています。何より2年前に孫が生まれて、元気になりましたね。介護度も4から3に改善したんですよ。今は月曜から金曜まではデイサービスに通い、2週間に2日ほどショートステイにも行っています。杖があれば自分で歩けますが、マヒは進行しているのであまり外に行きたがりません。だから、勝手に外出した父を探し回るようなことも少なくなりました。 ――お母様はその後お元気ですか? 岡崎 おかげさまで元気に介護も仕事も続けています。昨年、産後の私の世話と父の介護で疲れたせいか、目を手術し、2週間ほど入院しました。手術のとき、子どもの預け先が見つからず困っていたら、義母がブログ(続・『笑う介護。』)を読んで「預かるわよ」と言ってくれました。義父母は私の家庭環境を理解し、協力してくれるので本当に助かっています。 ――『笑う介護。』の出版以来、一番変化があったのが岡崎さんですね。 岡崎 そうですね。2011年に36歳で結婚、13年には長男を出産しました。結婚したのは、自分でもびっくりです。『婚活なヒトビト。』(同)という本を書いたくらい婚活に励んだんですがうまくいかず、もう結婚はあきらめて仕事に生きようと思っていた矢先に、夫と出会ったんです。 ――介護と恋愛が“両立”できず苦しむ方もいますが、そこは大丈夫でしたか? 岡崎 それが、父のことはずっと言い出せませんでした。これまで、父の介護が原因でお別れした男性もいましたので、探り探りという感じでお付き合いしていました。送ってもらっても、家から離れたところで車を降りたりしていたので、夫は「実は子どもでもいるんじゃないか」とおびえていたようです(笑)。 ――ではどうやってカミングアウトを? 岡崎 半年ほど経って、思い切って『笑う介護。』を渡して読んでもらったんです。すると「なんだ、そんなことだったのか」と。こっちが拍子抜けするくらいあっさりした反応でした。夫も、祖母が認知症で施設に入っていたりして、介護が身近だったんでしょう。介護経験のある義母も私のことを「苦労している人」とプラスに評価してくれました。それからはとんとん拍子に話が進みました。 ――これも縁ですね。ブログによると、ご両親とは別居されているんですね。 岡崎 結婚して実家を出ました。夫は「一緒に住んでもいいよ」と言ってくれたんですが、いろいろ考えて「一緒じゃないほうがいい」という結論になりました。今年に入ってから、実家から徒歩15分の場所に住んでいます。近すぎず、でも何かあればすぐに行ける、絶妙な距離感ですね。今はこれでバランスが取れていますが、今後どこかが崩れるとどうなるのかはわかりませんが。 123次のページ Amazon 『みんなの認知症 (成美文庫)』 関連記事 「がんばっていると母に認めてほしいのかも」認知症の母を介護する娘の痛み老後はすぐにやってくる! 親の介護に独り身の老後、それぞれの現実問題「親子の愛憎劇の幕引き、憎いなら憎めばいい」親の介護で繰り返される業倒れた親は施設か家か、延命はどうする? 問いの中で“親の介護”を描くマンガ3冊『ペコロスの母に会いに行く』岡野雄一氏の、「親と距離を置くことで救われる」介護