[官能小説レビュー]

『耳の端まで赤くして』から読み解く、女子校=官能的な場所として描かれる理由

2015/09/28 19:30

 幼い頃は、男女の垣根はもちろん、立場や年齢をも飛び越えて相手を好きになっていた。例えば近所に住む同い年の男の子も好きだけど、少し年上の優しいお姉さんも好き。父親のような男性がタイプだという人も非常に多かったし、先生のことを好きになる女性も大勢いた。

 大人になればその境界線を前に足踏みをしてしまうところを、子どもの頃はその判別がつかずに「好き」という感情を簡単に抱いてしまう。そして、その感情を行動に移してしまうところも少女の危うさからくるものだろう。

 さすがに女子校生にもなると、性の境界線は守らなければならないというのはわかりつつも、若い好奇心で突き進んでしまうこともあるだろう。

 人にとって「イケないこと」がどれだけ甘美なものなのかを無意識のうちに知っていた10代。そして、その禁断の領域に足を踏み入れていた美少女たち。彼女たちのような「キレイ」の領域に踏み込めない筆者は、彼女たちが繰り広げる美しい性愛の世界の傍観者であることが、何よりも愉しいのだ。大人になった今、無邪気に足を踏み入れていた数々の禁忌を振り返りながら、この本を読み進めずにはいられない。
(いしいのりえ)

最終更新:2015/09/28 19:30
『耳の端まで赤くして(幻冬舎アウトロー文庫)』
傍観者からすると女子校の結束感も眩しい