サイゾーウーマンコラム「家族の絆」を制定される気味悪さ コラム 深澤真紀の「うまないうーまん」第6回 同性カップルや機能不全家族を想定していない、自民党の「第24条」改正草案の狭窄 2013/11/20 20:00 深澤真紀の「うまないうーまん」 今となっては「戸籍」という制度も、ほぼ日本だけに残る制度だ(中国や韓国にもあるが、形骸化している)。「戸」というのが「家族」をあらわし、「家族」ごとに管理するシステムであり、戦後の「個人」を尊重する新憲法や新民法では、あまり意味のないシステムになってしまった。住民基本台帳があれば十分だし、実際、いまの戸籍制度との両用はムダだと思う。諸外国でも個人の住民登録のみが基本であり、それで問題はない。 そして結婚も「入籍」と呼ぶことが多いが、それも原則的に間違いである。明治時代から戦前まで使われた「旧民法」では、確かに「家族の戸籍」があり、嫁がその戸籍に「入籍」していたわけだが、戦後の「新民法」では、結婚する場合は男性も女性もそれまでの親の戸籍から抜けて、新しい戸籍を作るのだ。だから「入籍」というよりは「作籍」とか「創籍」というほうが法律的には正確なのである。 結婚によって男性の名字が変わるケースもあるがそれは必ずしも「婿養子」になったわけではない。結婚して新しい戸籍を作るので、どちらの姓を選ぶのも自由であり、その上で妻方の親と「養子縁組」をしてはじめて「婿養子」になるのである。逆に妻が夫方の両親と養子縁組する「嫁の養子縁組」もある。 ちなみになぜ「婿養子」や「嫁養子」をするかと言えば、新民法下では普通に結婚した場合は、夫(妻)方の親の財産は夫(妻)しか相続できないので、養子縁組をすることで相手方の両親の財産を相続できるようにするためである。 「入籍」とか「婿養子」という古い民法用語を使うことで、「戸籍が汚れる」などという負のイメージや負担感を持たされたり、「戸籍を守ることが家族の形」だと自分たちで思ってしまいがちである。しかし「戸籍」を重視した「旧民法」も明治後半から戦後までの50年程度しか運用されておらず、それ以前の日本では、「通い婚」やら「女系家族」やらさまざまな家族制度があり、「伝統的な日本の家族」などというものはないのだ。 「家族の絆」とか「家族は助け合うべき」などという「道徳」は、お国に決めていただく必要はない。現行憲法の「基本的人権の尊重」「個人の尊厳」に現政権が手をつけようとしていることは、「家族を守る」ことが目的ではなく、国の考える国民や家族という鋳型を創ろうとしているだけである。そんなものを押しつけられたら女性も男性も生きづらくなり、「未婚化」や「少子化」だってますます進んでしまうかもしれない。 結婚しなくても、子供を作らなくても、家族がいなくても、私たちは「人権を尊重」され、「主権」をもつ「国民」であることを忘れてはいけないのだ。 深澤真紀(ふかさわ・まき) 1967年、東京生まれ。コラムニスト・編集者。2006年に「草食男子」や「肉食女子」を命名、「草食男子」は2009年流行語大賞トップテンを受賞。雑誌やウェブ媒体での連載のほか、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の金曜コメンテーターも務める。近著に『ダメをみがく:“女子”の呪いを解く方法』(津村記久子との共著、紀伊國屋書店)など。 前のページ12 最終更新:2019/05/17 20:10 Amazon 「家族」という名の孤独 (講談社プラスアルファ文庫) 血縁以外の家族もあるのにね! 関連記事 【第5回】出生率は変わらないのに、「セックスしない国・日本」を問題視する不思議【第4回】「女性差別」は悪化してる? 女性を取り巻く「痛い」「こじらせ」の新たなしんどさ【第3回】「同じ女として」「同じ母として」は、女性の多様性を制限する魔の言葉【第2回】“草食男子”の二の舞い? 「女の敵は女」を喧伝するおやじ週刊誌【第1回】出産を神格化・扇動する声に思う、“産むか産まないか”は本当に女の一大事!? 次の記事 加藤茶嫁、ついにブログ開設 >