肥大した大衆の好奇心と芸能マスコミの餌食となった「高島家長男殺害事件」
■現在も問われ続ける「芸能人スクープ」の倫理
だがこれらの報道は昭和30年代後半という時代の産物かと言われれば、ノーである。あれから50年近くたった現在でもその構造は驚くほど変わってはいない。だが、一方でこうした報道の数々は大衆の欲望に見事応える「これぞ芸能・大衆ジャーナリズム」といえる側面も持つ。
メディアは良くも悪しくもプライバシーを暴く。それが有名芸能人だったらなおさらだ。もちろん著名人、みなし公人ともいえる芸能人、しかも有名芸能一家のプライバシー保護には制限があってしかるべきだ。都合のいいプライバシー、綺麗ごとだけを売る有名人の“実像”を暴こうとするのは芸能ジャーナリズムの存在意義であり性でもある。センセーショナリズムもスクープもしかり。
そして大事件が起こるたび、こうした命題は繰り返し批判と議論の的になる。事件の真相を解明するため、事件を教訓とするためといった高尚なお題目から、読者の好奇心を満たすため、雑誌を売るためといった本音まで、全てはメディアが永遠に抱え続ける宿命である。だからこそメディア側の力量、テクニック、倫理が試される。美恵が起こした“有名芸能人長男殺人事件”は芸能・大衆ジャーナリズムにとって、現在にも共通する問題を突きつけている。
この事件は現在において再びクローズアップされたことがあった。それが冒頭の政伸離婚騒動だった。騒動の際、高島家の人々のプライバシーも多く取り上げられたが、その中に一家の信仰、スピリチュアル好きの源がこの事件のトラウマにあると報道されたのだ。このことからも、当時と現在にさほど差はないとも思えるのだ。
昭和40年6月、東京地裁において美恵の判決が下された。懲役3年から5年という不定期刑だった。模範囚だった美恵は昭和43年に仮出所し、45年に結婚した。彼女の過去も知った上での結婚だったという。その後、美恵はいくつかのメディアに登場し、当時のことや高島夫妻に対する懺悔を告白している。
「高島さんに詫びる気持ちは生涯変わりません」「(命日には)道夫ちゃんの写真の前にお花とかお菓子を添えて深くお詫びしているのです。これだけは一生欠かしません。道夫ちゃん、高島さん、奥さま、本当にごめんなさい」
高島夫妻は事件後の昭和40年10月に政宏を、翌41年10月には政伸を授かった。しかし夫妻は現在でも事件について一切を語ってはいない。
(取材・文/神林広恵)
【参照】
「朝日新聞」(昭和39年8月24日付夕刊)
「週刊朝日」(昭和39年9月4日号)
「週刊読売」(昭和39年9月6日号)
「サンデー毎日」(昭和39年9月6日号)
「週刊明星」(昭和39年9月6日号)
「平凡パンチ」(昭和39年9月7日号)
「週刊現代」(昭和39年9月10日号)
「週刊漫画サンデー」(昭和39年9月16日号)