サイゾーウーマンコラム昭和の毒婦・小林カウの生きた時代 コラム [連載]悪女の履歴書 貧困の時代が生んだ、昭和の毒婦・小林カウの無学と女性性 2012/12/23 19:30 神林広恵悪女の履歴書小林カウ Photo by kanegen from Flickr (前編はこちら) 当時、このホテル日本閣事件は女による連続殺人ということで世間が驚愕した。「昭和の毒婦」などとマスコミ報道も盛んで、日本閣には連日見学者が集まった。塩原周辺の人気観光地の一番は那須御用邸だったが、次が日本閣という具合に。初公判にも多くの人が殺到、あぶれた人びとが法廷の外に陣取った。 貧困の中に育ち、金持ちとの結婚を夢見た女は、不本意な結婚で性的にも不満を持ち続けた。1男1女をもうけたが、長男は17歳で死に、長女は音信不通で、家族に恵まれたとはいい難い。若い男と初めての恋をしたが、貢いだ末に捨てられた。その間も多くの男と関係したというが、それは仕入れ代金や生活費をタダにするための物々交換という概念。信じられるのは金と自分だけ。金のためには身骨惜しまず働き、自分の肉体さえも利用して男を操った。 カウが善悪の区別さえついていたの疑問だ。 「逮捕された小林に悲壮感はなかった。無学ゆえに、殺人の意味、死刑の意味が理解できていなかったのである。上申書にはこうある。『わたしはしょばいがしみ(商売が趣味)で、姉の家族ににもおおえんしてもらったので、しょうばいにもあたり、お金は残しましたけども、世の中の事は一こうにむとんじゃくで、殺人をおかしてさいばんになるということもしりませんでした』」(大塚公子『死刑囚の最後の瞬間』より) 小学校しか出ていないカウの書いた上申書。文章のほとんどは「かたかな」だ。カウは3人の殺人を犯してもなお、出所できると考えていた様子で、ホテルの再建も口にし、改築を楽しみにしていたという。早く出所できるよう捜査官に色目を使い“サービス”した。カウにとってそれが日常であり常識とでもいうように。「死刑だけはかんべんしてね」カウはここでも警察官に“女”を使い気を引こうとした。看守に鏡や化粧品を要求し、取り調べや公判でも厚化粧でアピールした。 ■貧困と無学がうんだ昭和の毒婦 現在残っている写真を見るとカウは決して美人ではない。しかし当時の報道ではぽっちゃりして愛嬌のある美人という表現がされている。実際、取り調べを担当したた警官は「カウは美人だった」と語っている。男好きするタイプだと容易に推測できるが、その上一種の妖気も持ち合わせた女だったようだ。 世渡りも上手く、金にはしたたか、商才には長けていたとはいえ、結局は世間知らずで無学だった女の姿がそこにある。金のためには体まで使う。そうした生活と生来の気質から羞恥心にも薄かった。しかし、生活力は満ち溢れていた。金銭的にも自立し、目的のためなら手段は選ばなかった。手段など選んでいたら這い上がれない、幸せを掴めない。カウはそう信じた。邪魔者は躊躇なく消す。それがカウの必然だった。 人を殺すことは悪いことだとは認識していたが、どれほどの罪になるかはよくわからず、無頓着でもあった。カウは自分の培ってきた“常識”だけを心底信じ、突き進んだ。勝気な性格と無学がそれを加速させた。 「もはや戦後ではない」といわれた昭和30年代。庶民は貧しく、しかし生きる底力に溢れていた。そんな時代を断片を切り取った風景の中にカウがいる。 高度成長期前夜、みな貧しいながら必死であがいた。そんな時代に生きたカウ。実年齢より若く見える容姿と、色気という武器も持ち合わせていた。成功、金、ステイタス、飽くなき上昇志向と欲望――戦争を経験し、また貧困から抜け出そうとあがき、手段を選ばないカウのしたたかさに圧倒される。時代が生んだ「昭和の毒婦」だった。 ■カウが女を辞めた 昭和41年7月14日、最高裁でカウと光吉の死刑が確定した。同時に夫殺しの共犯として元巡査には懲役10年が下された。 カウは死刑が確定しても、それほど落ち込んだ様子はみせなかったという。ただ興味深いことに、それまで熱心だった化粧や愛想笑いは辞めた。「もう必要ないから」という理由からだ。そしてもうひとつ、カウは体を動かすことを切望した。拘置所長に嘆願し、炊事場で働きたい、花壇を作りたいと訴えた。死刑囚としては異例のことで、全てが却下された。これまで働き通しだったカウは何もしないことが一番耐えられないことだったのだろう。強烈な個性を放ち、なぜか憎めない、だからこそ人々の興味をそそるカウの、哀れな一面でもある。 昭和45年6月11日、61歳になったカウは戦後女性としては初めて、死刑を執行された。カウは取り乱すこともなく刑に処されたという。尚、共犯の光吉も同日処刑されている。 それから14年後の昭和59年、カウをモデルにした映画『天国の駅』が製作された。主演は吉永小百合。カウをかなり美化した作品だったが、人びとはこの時もう一度カウを思い出した。 カウは当時「明治の毒婦・高橋お伝」と対比され「昭和の毒婦」とセンセーショナルにマスコミに取り上げられた。そして「平成の毒婦」木嶋佳苗の登場は、カウ逮捕から58年を待つことになる。 (取材・文=神林広恵) 参照文献 『あの死刑囚の最後の瞬間』(大塚公子著、ライブ出版) 『誘う女』(吉田和正著、三一書房) 『悪女たちの昭和史』(松村喜彦著、ライブ出版) 『<物語>日本近代殺人史』(山崎哲著、春秋社) 最終更新:2019/05/21 20:00 Amazon 『戦後史の正体』 無学でいいはずがない 関連記事 “女”であり続けた死刑囚・小林カウのセックスと金の欲望の先尼崎から10年前――監禁、暴力による恐怖支配の“服従者”緒方純子「婚期を逃したハイミス」の時代に生きた、伊藤素子の「犯罪の影に男あり」死刑という“現実”を凌駕した女……裁かれたのは木嶋佳苗の人格か木嶋佳苗の巨大な欲望の前に打ち砕かれた、男たちの“儚い夢” 次の記事 女の「コスメの墓場」 >