月9『真夏のシンデレラ』は今年一番の“スベり芸”ドラマ! 脚本家は北川悦吏子大先生の正しい後継者
北川作品は、登場人物の誰もが1日に30分ぐらいしか働いてなさそうだし、ヒロインはたいした努力も自己研鑽もなしに、ヒロインであるという理由だけで、すぐに望んだ仕事に就けてしまうという、職業描写の“おおらかさ”でおなじみだ。
『真夏のシンデレラ』のヒロイン・夏海は、サップのインストラクターをしながら家業の食堂を切り盛りしている。「アタシ、この仕事、好きなんだよね」と、うわごとのように繰り返すものの、「How」が描かれない。どのように好きなのか、好きになったのか、どこにやりがいを見いだしているのか、矜持はあるのか。まったくわからない。家業の食堂は自転車操業でカツカツのはずなのに、なにかといえばすぐ内輪で集まって貸切にしてしまう。
健人は大手建設会社の御曹司で、なおかつ社員として働いており、「仕事がデキる」「忙しい」という設定らしいが、しょっちゅう湘南の別荘でリモートワークをして、1日の半分は夏海のそばをウロウロしていたりと、たいそうゆったりしている。なるほど、働き方改革を見据えた令和のドラマ、ということか。また、健人が取引先と電話で話す際の「ファサードパースイメージはレンダリングしてからお送りいたします」と、ネットでサッと調べて取ってつけたようなセリフも実にフレッシュでよい。
ほかにも、研修医(修)、大工(夏海の幼なじみの牧野匠/神尾楓珠)、美容師(愛梨)など、さまざまな職業に従事している設定の人物がいるが、誰もがいつでも暇そうで、平日の湘南の街を手ぶらでプラプラ歩いているか、防波堤に腰掛けて海を眺めている。そしてなにかと集う。
よって視聴者は、「登場人物の仕事なんていうのは形だけのものなんでね。細部を気にしたら負けっすわ」と腹を括って見るしかない。
『真夏のシンデレラ』、北川悦吏子作品との類似点(3)
「知らない・調べない・取材しない」の三拍子。大胆な「山勘脚本」
北川大センセイといえば、「リサーチしないよ。想像の翼を折るから」という名(迷)言を有言実行して、すべての脚本を勘で書いていることで知られるが、「令和の北川悦吏子」の有望株・市東さやかも、“師匠”のスタイルをしっかりと踏襲している。
まず、舞台である「湘南」についての認識がめちゃくちゃだ。前述の「住んでる世界が違う」というセリフを多用しながら、なにかと「(作者が思う)東京と(作者が思う)田舎」の二項対立に持ち込む。このような作劇は、北川作品でも非常によく見かける。例えば、湘南地元女子3人組に「東京とここ(湘南)は違うから」「田舎だから星が綺麗でしょ」「東京人とは価値観のギャップが」などと言わせる。サップボードの展示会で東京を訪れた夏海は、東京駅に降り立つなり「やっぱ東京って、すっごいな〜!」などと言いながら周りをキョロキョロして、完全に「おのぼりさん」状態だ。
湘南地域は長らくベッドタウンとして認知されており、過去20年間人口が増加し続けている。東京からの移住者も非常に多く、海に近く環境の良い街に暮らしながら、都内に通勤するというライフスタイルを選ぶ人が年々増えているのだ。「郊外」ではあっても「田舎」とは言い難い。
また、愛梨が守と東京で遊んでいたら電車がなくなり、修のマンションに泊まるというシーンがあるが、街の様子はどう見ても夜10時過ぎぐらい。小田急線なら新宿を夜11時34分、東海道線なら品川を0時4分に出れば片瀬江ノ島駅まで帰れるのだが……。
こうした、知らないうえに調べないで「こんなもんだろ」と勘頼みで書くという「北川メソッド」を律儀に継承する作劇に感心する。
……といったチェックポイントに加えて、毎回タンクトップとショートパンツ姿で跳ね回る森七菜の健康美や、内心では首を傾げながら演じていそうな間宮祥太朗の死んだ目など、見どころがたっぷりだ。なんとか最終回まで見届けたい。