昭和天皇も熱心な視聴者だった? 民放最長寿番組『皇室アルバム』の歴史的背景を考察
――放送当初から、昭和天皇は『皇室アルバム』の熱心な視聴者だったようですね?
堀江 昭和天皇にとっては、戦後、国民からの皇室支持率の上昇を肌で感じられるうれしい番組だったのではないでしょうか。当初は皇族方の肉声を伝える番組づくりを目指していたようです。資料を見ていると、90年代くらいまでは、皇族の方々を撮影する際の基準も、現在に比べるとかなりゆるく、自由だったようです。
昭和36年(1961年)には、秋田の国体に昭和天皇が出向かれたのですが、激しい雨風に晒され、駅のホームで突風にも見舞われたため、お帽子が飛びそうに……。昭和30~40年頃に『皇室アルバム』の映像制作担当の毎日映画社の堀内泰子さんという方の証言ですが、あわてて天皇が左手で帽子を押さえたところ、右手の傘が壊れ、変形してしまったそうです(『皇室アルバム』ロングランの舞台裏/『週刊現代』1965年9月発売号)。しかし、放送ではそのままの映像を流したそうですよ。
――台風のときの天気予報コーナーのレポーターみたいなトラブルに昭和天皇も巻き込まれておいでだったんですね。あきらかに放送事故なのに、どうしてそんな映像を流したのかと宮内庁がクレームを入れてきそうですが……?
堀江 放送を見た昭和天皇が「おもしろい映像だったね」とおっしゃったことで、宮内庁からの抗議はなかったといわれています。
「この番組(『皇室アルバム』)は、何も足さず、何も引かずをコンセプトとしてきました」(「皇室アルバム」を救った昭和天皇の一言/「文藝春秋」3月号 2012年02月10日発売)との関係者の証言通り、昭和40年代は、現在の天皇陛下(当時、浩宮さま)が小学生の時代で、毎年夏は浜名湖(静岡県)で水泳をしたり、ソフトボールをしていたそうなのです。遊び相手は地元の子どもたちでした。
雅子さまとご結婚後、浩宮さまが静岡を訪問したとき、昔の遊び相手だった小学生たちも招かれ、両殿下と旧交を温めたエピソードもあります。ヒットを打って一塁に走ってきた浩宮さまに足を踏まれてしまったという男性のトークも再対面の場で披露され、みなさん、笑顔になったとか。『皇室アルバム』の映像アーカイブで調べたら、本当に浩宮さまがその子の足を踏んでいたそうです。
――本当に皇室の方の生活を、カメラでかなりの長時間、撮影することが許されていた時代があったのですね。
堀江 現在は、プライバシーの問題とか、コンプライアンスが厳しくなって、撮影許可のない子どもは撮ってはいけないそうで、愛子さまの運動会の映像も、お一人で走っている姿しか撮れないそうです。映像のマンネリ化はどうしてもまぬがれず、番組の行く末が気になりますね……。
――それとは対照的だったのが、放送開始直後の昭和の『皇室アルバム』でしたから、昭和天皇も欠かさず、熱心にご覧になっていたのでしょうね。
堀江 そうですね。それと昭和天皇は、公人としての自覚が大変におありでした。ご自分の立ち居振る舞いが、天皇としてふさわしいものであるかをチェックするためのツールとして、『皇室アルバム』を重視していたとも考えられます。
昭和天皇はスピーチをするとなると、テープレコーダーで録音し、何度もリハーサルしておられたという記録もあります(奥野修司『極秘資料が語る皇室財産』、以下『皇室財産』)。現在ならスマホでも撮影できてしまいますが、昭和後期の家電技術では動画撮影は気軽には難しかったようです。
まぁ、そもそも昭和天皇の「テレビ好き」は超有名で、昭和40年代、かなりの額の設備投資をして、家庭用に発売開始されたソニーのビデオレコーダーを一式でご購入という記録があります。昭和43年(1968年)には「御用度費」として、「ソニービデオレコーダー一式」を31万3000円で購入なさいました。これは世界初の家庭用ビデオレコーダー「CV-2000」であろうと推測されます。
それから、昭和45年(1970年)には「ソニービデオデンスケ」も33万5000円でご購入との記録もあります。これは「ポータブルビデオレコーダー(DVK-2400)」のことだそうですが、当時の大卒の国家公務員の初任給は昭和43年で2万3996円~2万5302円程度。昭和40年代の1万円は、現在の6~8万円との説もあり、そうなると大卒のお役人の月給10倍以上、ヘタしたら年収くらいにも相当する家電を2つも購入、並行して使っていたことなりますね(以上『皇室財産』)。昭和天皇はいわゆる「ソニー派」でいらしたご様子です。
――ポータブルビデオレコーダーとは? 聞き慣れない単語ですね。
堀江 調べてみたら、ポータブルビデオレコーダーとは、いわゆる「8ミリビデオカメラ」の先祖というべき家庭用の撮影機材でした。DVK-2400は肩掛けの本体にケーブルでビデオカメラを繋いで使っていたようです。ご自身が被写体になることだけでなく、映像を撮影することにも強い興味がおありだったのですね。ただ、天皇がご自分でこれをお使いになっていたかは不明です。
ビデオレコーダーのほうも、昭和天皇はご自分では録画予約はなさらず、『皇室アルバム』などの録画担当は侍従たちだったようですが、時々忘れてしまったり、録画できていなかったりしたそうです。その時の天皇の反応などはまた次回に……。