サイゾーウーマンコラム日本のアウト皇室史民放最長寿番組『皇室アルバム』の歴史 コラム 【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!! 昭和天皇も熱心な視聴者だった? 民放最長寿番組『皇室アルバム』の歴史的背景を考察 2023/05/20 17:00 堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト) 日本のアウト皇室史 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! gettyimagesより ――昭和34年(1959年)10月の放送開始から、今年で64年という民放最長寿番組の伝統を誇る『皇室アルバム』(現在の毎日放送)について、考察していこうと思います。実はこの番組、昭和天皇も熱烈なファンでいらしたとか? 堀江宏樹氏(以下、堀江) 放送開始した年の4月に上皇さまのご成婚という歴史的な慶事があり、戦後低迷していた皇室人気がV字回復したといわれています。放送は毎週月曜日、夜21時45分からの15分間で、毎週欠かさず放送され、その頃の視聴率は20%を超えていたそうです。昭和50年(1975年)の3月末までの放送時間は、21時台~22時台というプライムタイム帯に設定されました。視聴率は初期に公開されただけで、その後は秘密にされているようですが、プライムタイムで放送されていた頃は、それなりの数字をあげていたのでしょう。 ――『皇室アルバム』といえば、今だと早朝にやっているイメージですよね。しかし、この頃からメイン視聴者は高齢者に想定されていたとか? 堀江 当時の日本人の家庭生活といえば、一家につきテレビ一台でしょう。番組にチャンネルを合わせるのが高齢者であったところで、寝る前の一家団らんの時間に、お茶の間で家族みんなで『皇室アルバム』を見てから、みんなで就寝していたという感じでしょうか。 番組の放送時間が朝に変わったのは、昭和52年(1977年)4月から。土曜日の朝9時半からの15分番組となりました。平成15年(2003年)3月まではこの時間帯に放送され、同年4月から今日までは、日曜日朝6時半というさらに早朝の時間帯に移動して放送され続けています(関東地区では土曜5時15分~)。 興味深いのは民放の番組であるにもかかわらず、視聴率に関係なくスポンサーがいる限り、作り続けねばならない番組という位置づけであることです。テレビ局の関係者に視聴率を聞いても「別の部署に聞いてくれ」とタライ回しにされたり、回答をはっきり拒否されるそうですよ(笑)。 ――現在でも「菊のカーテン」で手厚く守られているのですね。そんな『皇室アルバム』のスポンサーというと? 堀江 時代を反映し、かなりの移り変わりがあります。ある調査によると「70年までは日本生命の一社提供、80年代~(20)03年までは高島屋の一社提供、その後、資生堂の一社提供となった。しかし、10年頃からは、TBSではドクターリセラの一社提供、制作局である毎日放送では皇潤とドクターリセラの2社提供、そして地方局ではローカルスポンサーをつける場合も」(『皇室アルバム』は寿命を伸ばせるか!? 今、必ず見るべき!?皇室番組レビュー/「月刊サイゾー」2012年01月号)とあります。平成22年(2010年)頃に、番組の存続危機があったのかもしれませんね。 次のページ 昭和天皇の「テレビ好き」は超有名だった 12次のページ 関連記事 「昭和」最後の日、天皇崩御時の報道フィーバーと「自粛」空回り―日本中の異変からわかること朝日新聞のスッパ抜きに宮内庁は激怒! 天皇ご本人にも伏せられた“事実”に皇族の反応は……天皇・皇后両陛下が選んだ「宮妃」は「生活費3億円」のお嬢様!? “ていねいな暮らし”ぶりに庶民は呆然?【日本のアウト皇室史】 皇族ご成婚、禁断の「初夜の営み」をひもとく! 妃殿下の母親が“寝室同伴”で……天皇にイライラ!?【日本のアウト皇室史】昭和天皇の娘がタバコ屋に!? 夫は年収200万円? 一般人と結婚した皇女6人、知られざる「その後」と日常生活