サイゾーウーマン男性アイドルSTARTO(旧ジャニーズ)ジャニーズツッコミ道場Snow Manはなぜ売れた? 男性アイドル [ジャニーズツッコミ道場] Snow Manはなぜ売れた? ジャニーさんに「力を入れてもらえなかった」からこその飛躍 2023/05/07 13:00 太田サトル(ライター、アイドルウォッチャー) Snow Man Jr.時代からスノ担の気合の入りようは有名だった(写真:サイゾーウーマン) いまジャニーズ事務所内でトップの人気を誇るといわれるSnow Man。今回は、彼らが売れた背景について迫ってみたいと思う。 Snow Man前史、一時は“終わりかけた”ミスノ時代 そもそもSnow Manの始まりは、「Mis Snow Man」(以下、ミスノ)というジャニーズJr.ユニットだった。歴史的事実としてのみこれを知っているという、ここ1、2年の新規ファンも少なくないと思う。 ミスノは2009年に結成され、舞台出演やJr.コンサート、そして先輩のバックなどで活躍。そのダンススキルやアクロバット能力が注目され、11年にはJr.でありながら、グループでの主演映画『HOT SNOW』が製作・公開された。しかし、当時のJr.界では決してメインを張るような存在ではなく、アイドル誌の読者投票企画などでも、メンバーが上位に食い込むようなことはなかったと記憶している。 とはいえ、『滝沢革命』『滝沢歌舞伎』と、タッキーこと滝沢秀明氏の主演舞台に定期的に出演。さらにジャニーズの伝統舞台といえる『DREAM BOYS』『少年たち』にも参加するなど、いわゆる“舞台班”として着実に実績を重ねるうち、一部の熱狂的なファンがつき、その人気はどんどん“濃縮”されていった印象だ。 そんな中、メンバーの真田佑馬と野澤祐樹の2人が、新ユニット「noon boyz」として、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の16代目いいとも青年隊に抜てきされる。 当時、「ミスノは終わった……」と感じたファンも少なくなかったのではないだろうか。「ジャニーさん、売り出すのはその2人だけなの? ミスノはどうなっちゃうの?」と。 そこで大きく関わってくるのが、タッキーだった。『滝沢歌舞伎2012』の公演中に、「noon boyz」の2人を除く6人(岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、宮舘涼太、佐久間大介)が「Snow Man」として紹介される。名付け親もタッキーだったという(余談だが、ミスノの名付け親とメンバーセレクトはジャニーさん。「メンバーの頭文字を並べる」というお得意の命名法を元に思いついたそうだが、深澤の「F」を忘れるというキュートなおっちょこちょいエピソードがある。また「O」については結成当初メンバーだった小野寺一希から)。 まさにタッキーに救われた格好のSnow Man。ファンは「ありがとうタッキー!」と感謝したものの、同時に、「ああ、もうジャニーさんはSnow Manに興味はないのか」「タッキーにSnow Manをあげちゃったのか」としんみりした気持ちになったのではないだろうか。 しかし、だからこそファンの熱量はさらに高まっていく。 noon boyzが毎週月曜から金曜のお昼、テレビでウキウキウォッチングして知名度を上げる一方、Snow Manは技能集団として舞台班まっしぐら、メディアでの露出にはさほど恵まれていなかった。それにより、ファンの間には「私たちだけのSnow Man」という意識が芽生え、ますます人気が“濃縮”されていったのだ。 Snow Manは舞台によく出るので、連日のように“会える”アイドルだったが、少数精鋭の熱量が高い濃いファンがこぞって足を運ぶうち、気づけばSnow Man出演の舞台チケットは取りにくいものとなった。ファンが“積む”額も、メディア展開の多いキラキラ系正統派Jr.よりはるかに高いのでは……という状況も生まれたのだ。 次のページ SixTONESのほうが格上だった? デビューシングル売り上げでスノファンの熱量が爆発! 123次のページ 関連記事 Snow Manサプライズ増員で披露された、滝沢秀明の“ジャニーイズム”と“ジャニー忖度”A.B.C‐Z・河合郁人の充実感があふれ出た、『CANDY』with Snow Manの完璧な構成ギョっとした後ハマってしまう……Snow Man・佐久間、アイドルオタクに“見つかる”?『FNS歌謡祭』Snow Manの“演出”に憂う、バラエティ的「わかりやすさ」が殺すもの“ふっかと愉快な仲間たち”!? Snow Man・深澤辰哉の唐突すぎるチビJr.への欲望