韓国、“政治的な扇動”が問題に……『キングメーカー 大統領を作った男』に見る選挙と社会の分断
オム・チャンロクが考案したこれらの戦略は、マニュアルにまとめて党員たちに配られ、わざわざ講演会も行ったという。映画では描かれなかったが、支持者の家と不支持者の家を見分けるために、共和党がこっそり家々の壁に「○、△、×」とマーキングしていたのを、民主党が「○、×」を書き換えたり、「△」を消したりして混乱させたこともあった。
これらの幼稚にも見えるやり方が功を奏し、共和党の印象は悪化。世論は一気に民主党のキム・デジュンに傾いていき、絶対的に不利だった激しい選挙戦に見事勝利。キム・デジュンは、次の目標を大統領選挙への出馬に定めた。
そして1970年、大統領候補を選出する民主党の全党大会では、オム・チャンロクの戦略のもと、党員の家を直接訪問して支持を訴える作戦と、党内の力関係を巧みに利用した水面下での交渉の末、少数派で不利な状況だったにもかかわらず、キム・デジュンは見事候補に選出された。
だが、ここから2人は決別へと向かうことになる。選挙戦真っ只中の71年1月、キム・デジュンの自宅で爆破事件が起きたのだ。世論を考えると、大統領候補者の家で起きた爆破は、敵対するパク・チョンヒ政権にとっても問題である。しかし、大々的な捜査の中で有力な容疑者として浮かび上がったのは、オム・チャンロクであった。
映画で描かれる通り、KCIAの仕業ではないかとの疑いも出て、最終的にキム・デジュンの甥が「真犯人」とされたものの、真相はいまだ謎である。パク・チョンヒ陣営は、「選挙の狐」であるオム・チャンロクが世論の同情を買って支持率を上げようとした「自作自演」だと主張。本当であれば、キム・デジュンはそれを真っ向から否定するべきだが、それまでのオム・チャンロクのやり方を思うと、キム・デジュン陣営も「自作自演」の疑いを消し去ることができなくなっていたのである。