母がエンディングノートに書き残していた「望み」とは? 母親を看取った30代女性の胸中
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
末期がんの母、晃子さん(仮名)と高次脳機能障害の父、博之さん(仮名・69)を同じ有料老人ホームに転居させ、二人の時間をつくった中村さんは、ホーム近くのホテルに泊まり込んで晃子さんを看取った。
▼前回はこちら
エンディングノートに母が書き残していた
晃子さんは直接斎場に行かず、いったん自宅に戻った。これは晃子さんの希望だったという。
「エンディングノートに書いていたんです。母の入院中、ノートを渡していたんですが、半分も書けていませんでした。そのころはまだ死が現実的ではなくて、私からも母の希望は聞きにくかった。それでホームに入居する前、いったん自宅に戻ったときに私が聞き取って書いたんです。このときには母にとっても死が現実的になっていたのでしょう。聞き取りはスムーズでした」
斎場がいっぱいで、亡くなった晃子さんは5日間自宅で過ごした。この間伯母たちも晃子さんに会いに来たが、中村さんは葬儀の準備で忙しかった。というのも、通常の葬儀に加えて、オンライン葬儀をすることにしたのだ。
「エンディングノートに母が『自分らしさがわかるような、花いっぱい』の葬儀を望むと書いていたんです。それで葬儀は無宗教で、花をたくさん祭壇に飾りました。そして家族葬でなく、一般葬という形にしたんです。家族葬でと思っていましたが、一般葬にしておいたほうが弔問になるのでいいと助言されましたので。コロナも考慮して、あまりたくさん来られてもよくないし、来たくても来れない方のためにオンライン葬も行うことにしました」
中村さんは、暗い式にしたくないと思った。
「母のことを語ってもらおうと思いました。その人と母との関係によって、知っている母の姿は違うでしょう。だから、いろんな人に母のことを語ってもらえば、いろんな母を知ることができると思ったんです」
幼いころからの晃子さんの写真を探し、ビデオとスライドを用意した。ビデオには中村さんと兄のコメントを入れて、晃子さんの人生を紹介した。葬儀にオンラインで参加してくれた人には晃子さんのエピソードを書いて送ってもらい、読み上げた。
「オンライン記帳を用意して、そこに母のエピソードも書き入れてもらったんです。母のケアマネジャーや訪問看護師、海外在住の人など40人くらいが参加してくれました」
中村さんには訪問看護師が送ってくれたエピソードが響いた。こんな言葉があったという。
「はじめてストマ(人工肛門)を使う患者さんを担当しました。ストマケアをして、晃子さんから生活上のケアのヒントをもらいました。晃子さんをきっかけに消化器病変に興味を持ち、資格を取ることにしました。私の看護師人生でかけがえのない勇者です、と」
これも晃子さんが生きた証しだ。