ご近所の団地ママ友を惨殺……子ども会役員で知り合い「仲が良すぎて」恨みに変わった【福岡 レズビアン殺人事件:前編】
世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。
【福岡レズビアン殺人事件】
「うちの女房が、人殺しをしたと、さわいどります……」
1973(昭和48)年2月28日の朝10時すぎ、東福岡署(現・東警察署)。上ずった声で電話をかけてきたのは、池田さん。福岡市の市営住宅に住む鮮魚商の男だった。
さっそく署員が池田家に駆けつけてみると、妻の美里(仮名・33=当時)が、放心したような顔でフラフラと歩き回り、「奥さんを、殺してしもた」とつぶやいていた。署員がすぐに相手の名を確かめ、池田家から30メートルほど離れた同団地の別の家に向かうと、6畳間に敷かれた布団のなかで、黒木紀子さん(仮名・39=当時)が血まみれになって死んでいた。
紀子さんはスカートにエプロンをかけた普段着の姿でうつぶせになり、布団から身を乗り出すようにして血まみれで倒れ、周辺にも血が飛び散っていた。
凶器は池田家の炊事場にあった刃渡り約25センチの刺身包丁。遺体の喉にはこれを用いたと思しき3カ所の刺し傷が認められた。頸動脈の切断が直接の死因だったが、さらに、その下腹部は刺身包丁で刺しえぐられていた。同署員は、紀子さんの遺体を確認後、自宅にいた美里を殺人容疑で緊急逮捕。東福岡署に連行した。
団地での凶行直後である、その日の朝8時すぎ。美里は夫の営む鮮魚店にふらりと現れ、妙なことを口走った。
「人を殺したら、どうなるんじゃろか……」
これを聞いた夫ははじめは軽く聞き流していたが、どうも美里の様子がおかしい。問いただしても、はっきりとしたことは言わなかったが、夫は美里が紀子さんに大金を貸していることを知っていた。
「そのもつれから、紀子さんを殺したんじゃないかと思って、110番したんです」
と夫は当初語っていたが、捜査の結果、判明した実像の構図は全く違っていた。
「私に冷たくするようになった」恨み節を口に
東福岡署に連行された美里だったが、実はその直前、自宅でウイスキーを飲んだうえに睡眠薬を20錠ばかり飲んでいた。
「逮捕して署に身柄を引き取ってきたときにはメロメロでね。調室の中でアクビをしたり居眠りをはじめたんで『こりゃおかしい!』と思ってすぐ下剤をかけて、そのまま近くの病院に収容しちまったんだよ……」(東福岡署の話)
それでも、病院に入る前に、美里がうわごとのように言っていたのが「私に冷たくするようになった……私を捨てる気だ」といった恨み節。背景は、捜査が進められると徐々に明らかになってきた。
現場となったのは、福岡市の東の外れにあった1957年建設の古い市営住宅。102棟で、1棟が2戸の2棟長屋式だった。隣近所の暮らしぶりがすぐ覗けるような団地だ。その主婦同士が加害者、被害者となった凄惨な殺人事件は、近所のものたちの格好のうわさのタネとなった。というより、美里と紀子さんは、事件の前から、うわさの的のふたりだった。