眞子さまより日本を騒がせた、プリンセスの“恋”と“婚約トラブル”! モメまくった結婚問題が迎えた「悲劇」
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
前回まで……秋篠宮眞子さまの結婚をめぐる騒動がいまだ解決していない現在。昭和中期にも、結婚問題でモメにモメて、日本を騒がせたプリンセスの恋がありました。清朝のラストエンペラー・溥儀(ふぎ)の姪に当たる、愛新覚羅慧生(あいしんかくら・えいせい)という女性と、そのお相手で青森出身の大久保武道の恋物語と、ついに訪れた悲劇とは……?
ダメな男に「ゾッコン」だったプリンセス
――慧生さんは、大久保さんのどこに魅力を感じていたのでしょうか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 世間にはダメ出しされてしまうような、不器用でダメなところが、逆に誠実に感じられ、よかったようです。彼女自身の手紙の言葉でいえば「服装なんてあまり(大久保さんは)おかまいにならないし、人にたいしてもわりあいにそうでしょう。(略)私は(大久保)武道様のそういう根本的なあたたかさが好きなのです。失礼ながら、下品な言葉で云えば『ゾッコン参って』います」。
――「ゾッコン」ですか(笑)!!
堀江 自分との「違い」に強く惹かれてしまうのは、いつの世のプリンセスにも共通することかもしれませんねぇ。ちなみに、こんなことも慧生さんは手紙に書いていますね。
「人を愛すると云うことは、人間の感情を動かすもっとも大きな動機であってみれば、愛する人と行動をともにしたいという傾向性は本能的な激しい推進力をもつものですから、それを押さえることは本当に苦しいでき難いことでございます」。
この文、小室さんとの結婚に猛反対を受けた眞子さまが2020年11月に発表された手記の一節、「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」の部分と、なんだか似ていますよね。ま、小室さんについては、なんでも器用に一応はこなせるというか、大久保さんとは真逆の印象ですが。
――「禁じられれば禁じられるほど……」という恋心のプロセスは、確かに似ているかもしれません。
堀江 そうですね。しかし、大久保さんが慧生さんのお見舞い目的にせよ、他人さまの家庭にアポなしで押しかけ、長時間いすわった様子を、慧生さんの暮らす嵯峨家の人たちは「図々しい」と言って嫌いました。
1956年12月30日のことです。女中のいるようなお家でもお正月準備が忙しい頃ですし、そういうときに“突撃来宅”はダメだ、ということくらいわかるはずですが、恋する大久保さんに「常識」は通用しませんでした。
慧生さんが風邪だと知ると、帰省中の青森から夜行に立ちっぱなしで乗って、東京についたらその足で嵯峨家に突入してしまったのですね。