『ザ・ノンフィクション』北九州連続監禁殺人事件、犯人の息子が伝えたかったこと「放送1000回SP 後編」
日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。4月18日は「放送1000回SP 後編」というテーマで放送された。
あらすじ
今放送で1,000回目を迎えた『ザ・ノンフィクション』。前週の999回から番組26年の歴史を、前後編で振り返っている。
当番組の初回は1995年10月15日。登場したのは、同年にロサンゼルス・ドジャーズに入団した野茂英雄投手で、放送2回目は同年3月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教。その後も「大事件の関係者」「芸能、スポーツの有名人」などを取り上げることが多かったが、徐々に番組は市井の人たちにスポットライトを当てていく。
今回の後編では、東日本大震災(2011年3月)以降の10年間が取り上げられた。震災の翌月には、犠牲者が全市町村で最多であった宮城県石巻市に暮らす3組の家族を取材。別の回では、田舎暮らしに憧れて、福島県浪江町に単身移住した老齢男性が、福島第一、第二原発事故により終の棲家と考えていた場所を失うことに。また、葛尾村の酪農家夫婦は飼っていた牛とも別れねばならず、牛の頭を撫で牛舎の片隅で涙する妻の姿を伝えていた。
2017年に放送された、「人殺しの息子と呼ばれて…」。世間を震撼させた北九州連続監禁殺人事件の主犯、松永太死刑囚、緒方純子受刑者を両親に持つ息子の声を伝えたこの回は、大きな話題になった。事件当時彼は9歳。番組の取材を受けた際は、24歳になっていた。事件では緒方の親族6人が犠牲となっており、息子は事件後、身寄りがなく児童養護施設に預けられ、壮絶な半生を送る。彼は「ネットとかで(自分のことを)書かれるじゃないですか。その息子は今まともになっていないだろうなとか。知りもしない人たちが僕のことを悪く言うっていうのに納得ができなくて」と取材に応じた思いを話した。
また、自身の体と心の性が異なる人たちについても、番組は何度か取り上げている。新宿ゴールデン街の名物ママ・真紀さん(当時76歳)は若い頃に性別適合手術を受け、当時の時代背景もあり家族に迷惑をかけられないと、故郷の鹿児島にはそれから一度も戻らなかったが、「せつなくて故郷」では47年ぶりとなる帰省の様子を取材。真紀ママはその後亡くなり、故郷の墓で眠っている。「しっくり来る生き方」では風呂ナシ、38歳で女装し地下アイドル活動をする男性の姿を見つめていた。彼は大学を出て働くも、その生活がどうもしっくりこず、はじめて「しっくりきた」のが、女性用のワンピースに袖を通したときだったという。
社会問題に対し、長年にわたって献身的な活動をしてきた人についても番組では多く取り上げている。杉並区で動物病院を営みながら、休日は犬猫の避妊手術を行う太田快作獣医師を追った「花子と先生の18年」をはじめ、動物愛護活動に携わる多くの人たちを伝え、1,000回総集編の最後では、非行、不登校など問題のある子どもたちを「逃げるな」と支え続け、2019年に亡くなった愛知県西居院の熱血和尚、廣中邦充さんを伝えていた。
※「人殺しの息子と呼ばれて…」「切なくて故郷」は、FOD(フジテレビオンデマンド)で全編が視聴できる。