「元夫には再婚してほしい」子どもを連れ去られ、共同親権運動を行うシングルマザーが今思うこと
『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。
おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第2回 田中由実さん(仮名・37)の話(後編)
▼前編はこちら▼
絶対に親権を取れると思っていたが……
――2018年末に、彼が岐阜の実家に帰省した後はどのように過ごしていましたか?
冬休みだけの帰省だったので、彼は年明けに社宅に戻ってきました。帰ってきたときには特に変わった様子もなく、クールダウンできたようでした。私は私で離婚届の不受理届(本人の知らない間に虚偽の届出が受理され内容にするための書類)を提出していました。その後の家族がどうなるかも含めて、様子を見ながら過ごしていました。
しかし、年が明けて1週間後、不意に彼から「離婚届を出した」というメールが入りました。ところが、そのときはまだメールには提出日が書かれておらず、メールよりも私の不受理届のほうが先だと思い、余裕の心境でした。実は、彼は帰省時に、私の不受理届よりも早く離婚届を提出していたんです。
1月中旬すぎに岐阜県某市から「出された離婚届に不明な点があるので連絡をください」と電話があったときも、記載に不備があるのだから受理はされないだろうと思っていました。
――でも、結果的には、1月末に離婚届の受理が判明したのですね。その後はどうですか?
親権者移行審判を起こしたのですが、当初は絶対に親権を取れると思っていました。その頃、子どもの育児はほぼ私がメインでした。子どもに食物アレルギーがあるので、病院の付き添いもアレルギーの種類も知らない彼が育てるのは危険だという点と、育児実績をきちんと判定してもらえていると期待していました。
その後、彼とは「ちょっと今後のことを話しましょう」という期間がありました。彼は義父ともども子どもの前でも「親権がないんだから、家を出ていけ」「親権がないなら子どものことに関わるな」と何度も言っていましたが、私は気にしませんでした。