[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

ウォン・ビン主演『アジョシ』から見る、新たな「韓国」の側面とは? 「テコンドー」と“作られた伝統”の歴史

2021/03/26 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

『パラサイト』ポン・ジュノ監督も、カンフー映画に影響を受けた?

 もう一つ付け加えるならば、あたかも韓国の「伝統的な」武術であるようにいわれるテコンドーだが、実は伝統でもなんでもなく、1950年代になって伝統武術として「作り上げられた」ものだ。日本の植民地からの独立を果たし、民族意識の回復が叫ばれるなかで、古くから朝鮮半島に存在し、受け継がれてきた伝統武術として堂々と宣伝できるものが必要になったときに、テコンドーは誕生した。

 今では、「テコンドーは中国の武術や日本の空手から大きな影響を受けて創始された現代のスポーツ」というのが定説にはなっているが(しかし、公には認められていない)、「テコンドーという伝統を共有する民族」というナショナリズム形成のために、新しく作られた伝統だったといえるのだ。もちろん、その誕生にまつわる歴史が後から付け加えられ、作られたものだとしても、テコンドーがその後急速に普及し、韓国発の競技として、今ではオリンピック種目になっていること自体が素晴らしいというのは言うまでもない。

 ただし、韓国に伝統武術がまったくなかったわけではない。ユネスコの文化遺産に登録されている「テッキョン(택견)」という、踊りのような武術も存在する。だが、その歴史的記録は断続的かつ曖昧で、百姓たちが楽しむ様子を描いた風俗画が残っている程度。何よりも殺傷には向かない動きで、テシクの技術として取り込むにはふさわしくないだろう。

 こう考えると『アジョシ』は、軍隊を持つ韓国ならではの実戦的なアクションで、「アクション映画」というジャンルに新境地をもたらしたことは確かでも、その基盤となる動きは、必ずしも韓国武術から考えられたものではない、ということになる。実際監督は「フィリピンなど、東南アジアの武術を参考に、コンパクトでスピーディーなものを作り上げた」と語っており、本作では、かつて韓国で一世を風靡したカンフーでも、韓国で普及しているテコンドーや空手でもない、ほとんど知られていない武術を集めることで、これまでにない新鮮なアクションを新たに作り上げたといえる。テシクが繰り出す「特殊技術」というものは、実際には誰も知る由のないものだからこそ、見る者の想像力を膨らませながら「特殊工作部隊」の鍛錬として、リアリティを持ち得たのだろう。

 伝統的な武術を持たない韓国ではあるが、こうして香港のカンフーや日本のチャンバラに匹敵するような、韓国独自の武術アクションを、「特殊工作部隊」という軍隊を背景にして生み出すことに成功した。韓国ドラマ『熱血司祭』(19)では、元特殊部隊出身の神父が、テシクのような技を駆使していると話題になったことも。韓国発となったこの新しいアクションが、今後どのように展開していくか、今から楽しみでならない。


 最後に、再び話題はカンフーに戻る。香港カンフーの薫陶を受けた私には、どうしても気になる映画がある。ポン・ジュノ監督の『母なる証明』(09)だ。この映画のラストで、母親は太腿にある「忘却のツボ」に鍼を打つ。なぜ忘却する必要があるかはネタバレになるので控えるが、私はかつて、あるカンフー映画のラストシーンで、これとそっくりな場面を見た記憶があるのだ。

 敵に恋人を殺された主人公がその悲しみを忘れるために、カンフーの技で忘却のツボを押す……という場面を、私と同じ世代であるポン・ジュノ監督も、また見ていたのだろうか。だとすると、彼は「ブルース派」と「ジャッキー」派どちらだったのか――いつか確かめてみたい、というのが私の秘かな願望である。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2022/11/01 14:10
朴禎賢 テコンドー入門(DVD)
確かに実戦には向かなそう